このドラマではいつも唐突なエピソードが現れる。
なんの前触れもなく突然自宅に図書館が設立されたり、いきなり美里が館長になっていたり。
そして「赤毛のアン」のファン代表として茂木健一郎氏がドラマに出演しましたが、
「芝居経験のない人に長い台詞を言わせると、覚えることが精一杯でああなってしまいう」(演劇制作関係者・談)
という、棒読み全開の演技を披露したとしても、それでも私は温かい目で「花子とアン」から「マッサン」へのバトンリレーを見守ろうとおもっておりました。
しかし、
今回はあまりにもひどいエピソードだったので、一体何が起こったのか、自分の混乱を鎮める意味で少し書くことにしました。
まず、美里のキャラ設定です。
美里ってそんなキレやすい子じゃなかったでしょう。
たしかに私も途中からは流し見するようになって、そこまで各キャラクターの性格を掘り下げて見ていたわけではありません。でもこんな人にたいして食って掛かるようなセリフ回しをする人物になっているのは唐突だと感じます。
「18歳の女の子」というのは変化の多い、そして不安定なところの多い時期にあたるのかもしれません。昨日まで子供だと思っていたのに、今日になってみたら突然大人のように見えることは普通にあるのかもしれません。
それはわかります。
しかしですよ、これは「朝ドラです」
まず「朝ドラ」と呼ばれていますが、これは正式には「朝の連続テレビ小説」です。
その名があらわすように、連続性が最も重視されるドラマなのです。
「半年のあいだ見続けて、よかったなあ」
と感じることが朝ドラの良し悪しを決めると言っても過言ではありません。
毎日見ている人が「え?そんな話あったっけ?」と感じるような連続性を損なう表現はよくないです。
また今作は、
「朝ドラ史上最高のタイトル詐欺」
と言われるほど「アン」の劇中での存在は希薄です。中盤は「白蓮と伝助」にタイトルを変えろ、という声も出ていたほどです。
劇中での花子の出来事とアンの出来事との重ね合わせたり、数奇な運命の一致などを描くことについても、一応の注目をしてきました。赤毛のアンが大好きだという「ほぼ2畳大学」学長からも、ドラマ放送開始時にレクチャーを受けて、原作はどんな話だったのかも頭に入れてきました。
結論として、花子の人生とアンの人生をオーバーラップさせるという目論見については「失敗」ということで、それはそれで片付いていたのです。
しかしここにきて、最終回を目前にして蒸し返すようなことをします。
いや、視聴者もそんなこと知りませんでしたよ。
そんな衝動を匂わす演出はいったい何処にあったというのでしょう。
こういったセリフを美里に言わせることで
「ああ! 原作・赤毛のアンの娘もこういう性格だったわね、私は読んだことあるから知っているわよ」
と視聴者に思わせたいのでしょうか。
はっきりいって手遅れです。
もう、みんな心のなかで
「花子ってまるでアンみたいだね、って言わしたいんだよね」
と、気付いてますよ。
でも、全然、そうは見えないのです。だから、そのことについてはもう不問にしておこうと。いつまでたっても赤毛のアンの原書が出てこない。そしてある日唐突になんの脈絡もなく、スコット先生が花子に渡すという展開に、もう、諦めがついたのです。
もう、「アン」はおまけだったんだと、そういうことで納得していたのです。
ところが、
ここにきて、
突然出てきたキャラクターが、
こう言うのです。
・・・
・・・
・・・
馬鹿にしているんですか。
言うだけ野暮ってやつですよ。
途中から白蓮と伝助の話になってたじゃないですか。
一貫性も連続性もないじゃないですか。
いまさら、タイトル詐欺をとりつくろうように、アンと花子のつながりを
強調したって
それは、失敗したんですよ。
それは描けてないんですよ。
あきらめてください。
もう、
何もしないでください。
おとなしく
終わってください。
茂木さんは何も悪くありません。
機会があれば、ちゃんと演技指導を受けてみてください。
なんだったら、髪の毛を赤く染めて再登場してください。