嫁いびりを決して正当化するわけではありませんが、和枝姉さんの言うことにはいちいち理があると思われるのが困ったところです。
ある意味、こういう話を今この時代にやっておかないと「師匠の噺が途絶えてしまう」のと同様、人の成長過程における大事なことが途絶えてしまうのかもしれません。現代的なやり方に変えられるものはかえつつ、姉さんの言っているようなことを留意して生きていく必要もあるのではないかと感じます。
時事的な話題となりますが、最近よく食品偽装のお話を聞きます。私はこれは、和枝姉さんが今日言った言葉が忘れられていることに、一定の理由があるのではないかと思います。「銭をかけたらなんぼでも美味しいものは食べられます」というのは、それをあらわしていると思います。
私達は「銭をかけたらなんぼでも美味しいものは食べられます」の、表面的な意味だけを捉えてしまっているせいで、食品偽装の問題がこれだけ問題化しているのではないでしょうか。良い食材を使っているということに対して、あまりに人任せにし過ぎなのではないでしょうか。
「ててかむイワシ」が「手を噛まない」というクレームに対して、何を感じるでしょうか。それがイワシという食材に対して何を求めているのか、食べる人本人の気持ちが鏡写しになっているような気がします。
イワシは「鰯」です。弱いので、すぐ痛みます。新鮮なうちに扱わないと味も風味も落ちてしまいます。手を噛むくらい生きが良いということを、かように表現したわけです。手を噛むかどうかを求めれば嘘ですが、美味しいかどうかを求めれば意味は違ってきます。
これに関しては言いたいことがあるのですが、「ごちそうさんと食品偽装」としてまた別に論じたいと思っていますので、あまり深追いしません。
和枝姉さんの表面的なイビリに動ぜず、是非め以子にも、銭をかけない美味しい料理というものを探し求めて欲しいとおもいます。
さて、ちりとてちんのほうですが、草々は師匠の落語を受け継ぐ、伝承していくという役割に異様な執着を持っています。伝統の継承というこのドラマのテーマの一つとして重要なエピソードです。
そして草若師匠は草々に対して「落語は、舞台に上がる演者一人で作るものではない。沢山の人の協力があって出来上がるものだ」ということを説教します。この人はどんな境遇にあっても「師匠」であることを止めません。それが「師匠業」を行う者のプロフェッショナルさですね。
宮嶋麻衣ちゃん演じる順ちゃんの家では焼き鯖を売っていますが、鯖も非常に足が早いですね。そう言われて、え?100メートル何秒?とか聞く人は意味を考えなおしてください。