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2013-11-04

ごちりとうさん (17)

大阪にやってきため以子は、大方の予想通りあまり歓迎されてはいないようです。
でも、「主人となる男性より先に家に上った」などといったことは、口実に過ぎません。気に入らないものは気に入らない、それだけが理由なのです。

フリーライター奈津子さんも言っていましたが、容姿が綺麗だというのは看板に過ぎないそうです。「肉じゃが女」を毛嫌いする奈津子さんは家事全般が苦手なため、それが原因で振られてしまったという過去があるようです。つまり、奈津子さんという存在を解読すると「容姿が綺麗で仕事も自立して行えていても、家事ができなければダメな女」ということになります。奈津子さんはそういう存在として描かれています。

喜代美は家事に追われて家族のためだけに生活しているような糸子(母親)のようになりたくない、といって奈津子さんのいる大阪に出てきたわけですが、その大阪で恋をします。しかし奈津子さんは、恋の果てにある「男性は女性に何を求めているか」という苦い経験を提示します。

さて、ごちそうさんはどうでしょう。ご飯を1日3回炊くのはもったいない、贅沢だ、とかそういういうことは、やはり「口実」に過ぎないのです。もともと気に入らないから、気に入らない理由を探しているのです。朝、ランニングに行こうと思っても、天気が悪かったら「雨が降りそうだから」という理由で二度寝する、そういう類のものなのです。

現代からみれば、ごちそうさんの大正時代の風習というのは古いものですが、よそ者に対して冷たいという潜在的な感覚は、今昔問わず、少なからずあるのだと思います。古い習慣で人をいじめるのは良くない、それはそうなのですが、古い習慣にもリスペクトをはらうことによって、そういう潜在的な嫌悪の感覚を和らげられるんだよ、と考えられたコミュニケーションの術なのかもしれません。20年30年と別々の人生を歩んだ者同士が、完全に価値観を揃えることは不可能に近いわけですから。

おいしいものを食べる、それは皆を幸せにする大切なことです。しかしながら、「おいしいものが全てを解決する」という論法は、朝ドラにおいては駄作フラグとなります。「明るく前向きなヒロインの行動が、いろんなことを解決していく」のは、ダメ作品への第一歩です。その方式を極端な形で実践した「ウェルかめ」は史上最低作とも呼ばれています。

「おいしいものは皆を幸せにする」のと同じくらい「家には家の決まり、考え方、価値観がある、それによって家族はまとまる」を扱わないと、朝ドラ作品としてはバランスが取れません。悠太郎さんの家族による、め以子への態度というのは、別に古いしきたりを礼賛しているのではないのです。この関係性を引っ張っていくこと、料理の手順で言えばそれが朝ドラの「フォン(出汁)」をしっかり取っていく期間なのです。

グローバル時代を生きる人間にとっては、かったるい事してるようにみえますが、ここでしっかりと家族が揉めていただいて、険悪になっていただいて、四面楚歌になっていただいてと、朝ドラのフォンを煮出しておかないと、あとあとの味が定まりませんので、じっくりコトコト大阪イビリを楽しんでいくことにしましょう。私は個人的にはこの展開にワクワクしております。

今日の順ちゃんの「しらんがな(´・ω・`)」は切れ味バツグンでした。