10年もねじれ続けた関係に対してのめ以子からの「こうしたほうがいい」という一方的な断罪はちょっと無茶です。西門家はいわば戦争状態だったわけで、ドラえもんの有名なセリフを引用すると
「どちらも自分が正しいと思ってるよ、戦争なんてそんなもんだよ」なのです。
外からきた嫁だからとかじゃなくて、和枝姉さんの言うとおり「3ヶ月ほどいたくらいで」正しい解決に導けると考えるのは気が早すぎます。
では家のことは誰が決めるのか、め以子はそれを悠太郎さんに問いかけましたが、それは家長に決まっています。家のトップなのですから、決めるのは家長です。
だからこそ、トップは時に理非善悪を無視して判断することが使命となります。
だからこそ、トップは時に理非善悪を無視して判断することが使命となります。
ほるもん爺さん、すなわち西門家の父であった「師匠」は、それができなかったのです。
家族に問題が起こったとき、感情を封じた上での的確な判断ができず、自分の目に映る家族にとって一番いい方法を考えてしまったのです。そんな家長にはトップの判断をする資格も力もありません。去って当然でしょう。
家族に問題が起こったとき、感情を封じた上での的確な判断ができず、自分の目に映る家族にとって一番いい方法を考えてしまったのです。そんな家長にはトップの判断をする資格も力もありません。去って当然でしょう。
そしてバラバラだった家族は、
「父は死んだと思おう」
という意見に一致することで一つにまとまったのです。
という意見に一致することで一つにまとまったのです。
組織や家族のトップは相撲の横綱と同じです。その地位と責務を負った以上は、自分の立ち位置を他の人と揃える、おなじ目線で考えるなどということは許されません。横綱でいられないなら引退するだけです。
おそらく悠太郎さんは優しい判断をするでしょう。それは家長として失格の行為です。そうしてしまえば西門の家の看板は傷つきます。何がよいのかわるいのか、それは当事者にしかわかりません。
ただどこか「他人の家の出来事」として見られるのがこのごちそうさんという作品です。作品が淡々としているからこそ、視聴者は感情優先でドラマをみることができます。
これが、ごちそうさんが「現在能」であると考えている理由です。
この朝ドラは、「あなたならどう思うか」というきっかけを与えてくれています。
視聴者は何が正しいかではなく、「こう思う」「こう感じる」というふうにドラマを自分たちなりに受け取るだけの余裕があります。それはごちそうさんが分かりやすく単純な展開をしているからです。
たぶん、あまちゃんほどの情報量が多いドラマであれば、自分の感情を処理している暇を与えてもらえなかったでしょう。登場人物は少なく、うまく情報が間引きされているのも、いまのところごちそうさんが支持を受けている要因ではないかと思います。