土曜日っていうと学校が午前中で終わって、家に帰ってから昼ごはんを食べるというのが非日常感を高めてくれて楽しかったという思い出がある世代ですおはようございます。
朝ドラは土曜日も15分ありますが、逆に長く感じるときもままあります。次の日曜日がお休みなので、月曜日まで余韻を引くような終わり方、その週までのちょっとしたまとめをする終わり方、大きな出来事、重要な出来事が起こる(ありがちなのは和解とか仲直り)、いわば「中入」ですので他の人はちょっと違った演出になっていたりします。
土曜日を見逃すと月曜日に見ると、
「あれ?おまえら仲悪くなかったっけ?」
というびっくり(・o・)状態になることがあるので、注意が必要ですね。
前期の「あまちゃん」では少し変わった土曜日の使い方でした。というよりも、月曜日のしょっぱなを、これまで従来の朝ドラでいうところの土曜日的な内容を扱っていました。
どういうことかというと、月曜日に大きな出来事をもってきて、それによって物語がどのように動くのかを1週間かけて見せていく、という手法を取っていました。これは画期的なことです。
割とめでたしめでたしチャンチャン、で終わらせるエピソードが朝ドラに多いのですが、チャンチャンの後、ヒロインを始め人々がそれによってどのような影響をうけたのか、というところを描いています。これは舞台演劇のように、舞台にいる役者全員がカメラが向いていない人も含めて常に何かをしている、それを観客はそれぞれの視点で見ている、という文化で培われたものではないかと勝手に推測しています。
ごちそうさんは、カメラを常に一点に向けていますし、ちりとてちんも基本的には絵的にはそれほど重層的ではありませんが、カメラ外でいろんなエピソードが待ち構えていて、すごいタイミングでそれが画面をずばっと横切っていくような心地よさがあります。
あまちゃんと比べると、ちりとてちんは前時代的な部分もあります。そうですねえ、カーボンフレームのロードレーサーに比べて、クロモリ素材のロードレーサー、という感じでしょうか。加速力や軽快さにおいては圧倒的に新しい素材のほうが優れています。
ごちそうさんは、ちりとてちんのような前時代的朝ドラの系譜をたどっています。けれど新しい要素も取り入れています。オープニングよりも前に1〜2分ほどドラマが入ってからテーマソングが流れだす、というのも最近使われはじめた手法です。着実に進化はしているのです。
古い、ありきたりだ、という批評は朝ドラの中ではあまりピントを得ていないような気がします。そう言っていればだいたい批評としては正しいからです。でもそれでは何も言っていないのと同じです。
素材が変わってデザインも先進的になったとしても、三角形を2つ組み合わせた形の自転車フレームの基本的設計はずっと変わっていません。朝ドラとはそのような、素材や時代が変わっていっても普遍的価値を持つ構造にこそその本来の力と魅力があるのではないでしょうか。
ちりとてちんの子役を演じた桑島真里乃さんはいま15歳ぐらいになっていますが、最近の写真をみて「喜代美や」と驚きました。こんなに大きくなってたんですね。朝ドラは1作品だけで完結しません。朝ドラ役者がその後大河ドラマに出演したり、朝ドラの脚本家が大河ドラマの脚本を書いたりと、「その後どうなったか」というところまで見ていくと、朝ドラは無限の楽しさを秘めています。
ちりとてちんで順子を演じた宮嶋麻衣さんは、ますますお綺麗になってごちそうさんで民子を演じておられます。