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2013-06-27

喫茶店であまちゃんを語る二人(Part 1)

これは、とある時、とある場所で行われたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」について語り合った記録から抜粋したメモ書きです。


〜 8:00 あまちゃん 放送開始 〜

ドラマトゥルク(以下、D)「語り手が変わりましたね」

私(以下、F)「変わりましたね。珍しいですね」


D「珍しいケースなんですか」

F「そうですね。語り手が変わるってことには何か気になることがあるんですか?」

〜あまちゃん オープニングはじまる〜

D「語り手が変わったことは何を意味してるんやろうと・・・」

F「それはまだわからないけど・・・あ、片桐はいりが帰ってきましたね」

D「もうですか」

F「早かったですね」

D「東京編の登場人物として描いてた可能性がありますよね」

〜 本編開始 〜

D「出て来ましたね」

F「これ誰ですか?」

D「松尾スズキですね。」

F「でも、ここまで大きく変えてくるとは思わなかったです。最近だと・・・カーネーションの主役が交代したとかぐらいしか思い当たらないです。」

D「夏木マリに交代したんですね」

F「おばあちゃんになってからを夏木マリが演じてました。その時は尾野真千子のところだけで終わっていてもいいような作りにはなっていたんですけど。最後の方は夏木マリの迫力で押し切ったような感じでしたけど、最後は主人公自身が劇中で自分が朝ドラの主役になるという」

D「え、そんな終わり方するんですか」

F「主人公が亡くなったあとに、エピローグで娘たちが「お母ちゃんが朝ドラになるらしいで」って話してて、その第一回放送をおそらく主人公の幼馴染みだと思われる人物がテレビで見ていて、オープニングテーマが流れる・・・という流れで終わりました。」



朝ドラの舞台


F「3カ月間地方を入念に描いた分、もうこれだけやったらずっと岩手だけでやってても良かったのではと感じたところに、東京にガっと移って、やっぱり落差が大きいですね。脚本の落差っていうよりも3ヶ月間っていう地方編の長さから」

D「そこからの揺さぶりが強すぎるんですね」

F「強すぎるんです。一ヶ月ですぐこの展開だったらすぐついて行ける。でもこれだけの期間入念にやられると、サウナから水風呂に入れられたみたい」

D「(笑) まるでタッチを変えてきてる、一気に仕切りなおして進めようとしてる」

F「でも、始まる前におっしゃってたけど、むしろ東京編になって筆はのってきてると」

D「あ、そうです、筆はのってます。それはまあ、宮藤官九郎は今までもずっとそうなんですけど、今回って浅草じゃないですか、アメ横とか、ああいう下町の風景とかっていうのを、もう大好きで宮藤官九郎は何度も取り扱うんですけど、ああいう町のモチーフとか、郊外とか下町を執拗に描く傾向があるんですよ。
「タイガーアンドドラゴン」っていう落語のドラマがあったんですけど、たまに外に出ますけど基本的にはだいたい芝居小屋、演芸場のある浅草から出ないとか。原宿もあつかってましたけど」

F「サブカルチャー的な場所を扱うことが多い?」

D「そうですね。都心だったらそういうところが多い」

F「アメ横とか浅草ってそういう感じの場所なんですね」

D「今、あまちゃんで取り扱ってるのはアメ横とか、ああいう町っていうのは宮藤官九郎の系譜からすると極めてストレートな感じです。」


F「今はそういうよく使う手法を朝ドラにあわせているというよりは、クドカンワールドを展開してるんですか」

D「でも筆が乗ってるとはいえ、書き方としてはいつもよりは随分親切に書いてるなと」


序盤はすごかった



D「確かに序盤はすごかったです。こんなん書ける作家になったんやと思って僕も愕然としたぐらいです。前から見てるものとしては、大丈夫なんかな、朝ドラなんか書けるの?って思ってたんです、悪いところもよく知っている部分があるので」

F「でも、テレビドラマの経験が無いってわけじゃないですよね」

D「ダメなときは本当にダメになるんで、連ドラでも」

F「世間的な評価も、酷評されてるんですか?」

D「まあ、ある程度売れてるんで酷評とかはされないけど、まったく話題にならない、作品自体がおおむね黙殺されちゃったり、そういうケースがありますね。脚本だけやったときでもそうですし、「カムイ外伝」をやったとき、あれ監督は崔洋一で脚本は宮藤官九郎、もう、ほんっとうに出来が悪くて、演出も相当アカンかったんですけど、原作をダイジェストにしてみました、ぐらいほんとうにひどくて、宮藤官九郎のヒストリーからも抹消されましたから」

F「なかったことにしてるんですか。ムラがあるんですか」

D「いつも舞台で2時間半とかでまとめるのは得意なはずなのに映画になると失敗しますけど」

F「あまちゃんのなかでも、なんか劇っぽいことやってるときありますよね」

D「あります、あります。」

F「そのへん、ドラマと演劇とは書き分けてる感じなんですか」

D「ドラマのほうはとにかく場面の転換がはやいですね。」

F「ああ、演劇だと一回場面がかわったらずっとしばらくその場面ですね」

D「短いシーンをどんどん積み重ねていくような作り方をするので、舞台だと長い一個の中で成立させようとするかワンシチュエーションで時系列をポンポン飛ばして行ったりとか複数の場面を同時並行して進めるかとかそういう方法を宮藤官九郎はわりと取るんですけど」

F「複数の場面が同時進行ってどういうことですか?」

D「例えば舞台脇にエレベーターがあるとするじゃないですか。そしてそのエレベーターから人が入ってきた瞬間に時代が20年戻るとか、っていうのを回想シーンでやってるかとおもったらその舞台の前面でしゃべってる二人は現在のことをしゃべってるとかっていうのをシームレスにぐるぐる展開したりっていうのが技法のレベルでは多くて、そう言う方法は今回のものに近いかもしれないですね」

F「シーンが切り替わると細かく時間が切り替わると」

D「時間の往還の速度っていうか、現代と80年台を軽やかに行ったり来たりするようなその速度感覚が、その手法に近いかなと」


朝ドラのフォーマット



D「朝ドラってすごい完成されたフォーマットなんやなって思いました」

F「そうですね」

D「宮藤官九郎が入ったぐらいでは、このフォーマットは揺らがないなって。むしろそのフォーマットに飲み込まれてる感じがあるなと思った」

F「そうですか、それはもっと細かく聞きたい」

D「NHKがそのフォーマットを細かく噛み砕いてこのフォーマットなら宮藤官九郎はハマるぞ、と自信があってオファーしたっていうのがやっぱり分かりましたね。なんでだっていうと、まず、宮藤官九郎の最大の弱点はCMを挟まれてしまうといきなり離脱するお客さんが多いっていうことなんですよ。民放でも1時間の放送のなかでどんどん視聴率が下がっていく傾向があるんです。だいたい15分とか20分単位でCM入れていくじゃないですか、そんな中で「一息で見れる時間配分」と、たとえば45分とかだと割とダダっと駆け足でかいちゃったりするんですけど、今回だと一週間で90分じゃないですか、その約90分っていう時間を、ちゃんとした配分で書いてるんやなあと思うので、これは宮藤官九郎にとって大丈夫かなとおもったけど、実はすごく適したフォーマットだったと、割と愕然としてる、ほんとにびっくりしてるんですけど」

F「宮藤官九郎にはこの手があったか、と」

D「こんな手があったかと、15分で区切らすっていう手があったかと、で、何が起きてるかというと、やっぱり今まで宮藤官九郎の作品みて全然はまらなかったっていう人たちが見てたりするんで。」

F「それはテレビドラマを」

D「そう、いままで全然おもしろくなかったけど、今回のは見られるって言ってたりする」

F「NHKの朝ドラというフォーマットが果たしてる役割が大きいと」

D「すごい大きいなと。一目瞭然やなとおもったのは、あまちゃんはある程度、この作品は視聴率を撮り続けてっていう状態がありますけど、もうじき終わりますけど本人が監督した映画が今やってるんですけど、全然アカンかったんですよ。この現象はなんかフォーマットの差っていうか宮藤官九郎に今一般の人たちが求めてるものの差が出てるなと思って」

(Part 2につづく)