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2013-12-16

ごちりとうさん (37)

西門家は偉大な人を手放してしまいました。



スタートから折り返しの年末まで、まちがいなくこのドラマの主軸であり強烈な印象を残したのは間違いありません、西門和枝姉さん、堂々の退場でございます。

そこで我々「朝ドラ学部」としましてはその偉業を称え、年始から始まる後半においてもその存在感を忘れないため、また待望される再登場を祈念して、ささやかな食事会を催すことにいたしました。

ここはもちろん和枝さんの好物「鰯」を食べるべきだろう、そしてお惣菜を買ってきて済ませるなどという準備を和枝姉さんが許すはずもないだろう、「始末」してこそ「ごちそうさん」、ということで、今回は
鰯のつみれを作って食べます。

そうです、和枝さんが鰯を調理しながら、大粒の涙とともに全てを言葉にする、あの名シーンを再現するのです。

朝ドラを楽しんでいる人もあまちゃんが終わってからは見ていないという人も、和枝ねえさん派もめ以子派も、年の瀬に朝ドラを肴にして、皆で食卓を囲んで「ごちそうさん」の話でもしようかと思います。

参加に関してのお問い合わせは「岩戸山ほぼ2畳大学」から改めて案内させていただきますので、どうぞお楽しみに。


ーーー基本情報ーーー

「朝ドラ学部プロデュース 西門和枝さん記念 イワシを始末する食事会」

イワシを自分たちで洗ってさばいて、つみれを作って食べませんか。
その他イワシを使った料理なども用意します。

とき:12月27日(金)19:00より
ところ:AKIKAN 京都市下京区岩戸山町440江村ビル3F

2013-12-11

ごちりとうさん (36)

録画が溜まってしまいましたが、復帰しました。

ちりとてちんは「師匠の苦悩」とくに、女弟子をとった草若の戸惑いが重要です。喜代美を弟子に取る時に父親に向かって「これから大変だっせ、わたしも、あんたも」という言葉がありましたが、それはこういうことだったのです。

女の子はどこまでいっても母親と仲良しこよしなんですね。それは女の目線でみればそうではない、という意見もあるのでしょうけれど、仲良しこよしの意味合いというのは一定の尺度で測れるとは限らないのです。

ごちそうさんの西門家の姿は、なんだか複雑で、仲良しこよしとは一概には言えないかもしれません。けれど「幸せの形は家族それぞれ」という至極まっとうでシンプルな解答をドラマにしています。正蔵さんの「帰らんのがせめてもの筋や」という生き方はやせ我慢なのかもしれませんが、家族のためであれば何でもできるという考え方のバリエーションの一つです。

その結果としての正蔵さんは、中身の無い、実のない、女にだらしない人物であればあるほど、西門家のまとまりは強くなります。しかしその弱さを認めているのも西門家ですし、西門家でなければ正蔵さんとつながってはいられません。だから今の西門家というのはすごく安定しているように感じられました。

私が繰り返しに「風のハルカ」の再放送を主張するのは、現代において「家族とはどういう姿をとるのか」ということには正しい解答はなく、常に変化するものだということを見直す時期に来ているということであって、黒川芽以ちゃんと宮嶋麻衣ちゃんと高畑充希ちゃんと、家族になって義妹にするなら誰がいいか、とかいう妄想を繰り広げたいわけでは決してありません。


2013-12-03

ごちりとうさん (35)

希子ちゃんがどうしてこんなに可愛いのかを考えてみました。

私が思うのは、彼女の喋り方にあると思います。
気弱で話すのが苦手、そういう人物像をよく表現しているのがセリフの語尾に向かって徐々に薄く小さくなっていく声づかいに感じられます。




それでいてこれだけの歌唱力ですので、魅力に厚みが感じられます。




歌い出し「氷、氷、氷なのは間違いないのさ」
の、「ないのさ」の息が漏れながら歌っている感じ、これが普段のセリフでも希子ちゃんの元来の気弱さが抜け切らない部分がよく出ていて、守ってあげたくなってしまうんですね。


2013-12-02

ごちりとうさん (34)

今日はちょっと「ちりとてちん」のほうに絞ってお話させていただきます。
ごちそうさんは正直な所、あまり筆者が解説する部分も少なくなって参りました。

喜代美は弟子入りを認められ、内弟子修行を始めることになりました。住み込みでいろいろと経験していくことになるのですが、草若師匠からは大切なお話がありました。

落語家の修行をするにあたって、もちろんですが自分で稼げるようになるまではお給料のようなものはもちろん無いし、収入はありません。そして住居代はかからないのでタダです。落語を教えてもらう稽古も、お金を取りません。

いぶかしがる糸子に草若は言います。
「落語はみんなのもんです。お金をとって教える道理がおまへん。」
落語は「オープンソース」だと言っているわけです。

オープンソースという言葉を聞いたことがあるでしょうか。コンピュータープログラムの世界で始まった考えで、プログラムを作るためのもっとも重要な「ソースコード」といわれるプログラム本体を、公開=オープンにする、というものです。

つまり落語で言えば、落語演目の筋書き、セリフなどの脚本部分は全て公開されており、誰でも見たり知ったりすることができるのです。

公開されているということは、違う落語家が同じ演目をすることも当然あるわけです。世の中にはソーシャル・ネットワークというサービスがあちこちにありますが、それらの中にもオープンソースなプログラムは含まれています。こうしたものは無料で配布されるアプリとして人々の手に渡ることも多いです。こういうものをフリーソフトと読んだりします。

オープンソースやフリーソフトは共有の財産である、という考え方の他にも私は「ものにではなく、人や技にお金を支払う」という考えがあるのだと思っています。

ITやコンピュータの世界には「無料」のものが沢山あります。しかし、無料があたりまえだというわけではないのです。

落語家たちも、元は無料のような演目に、ほとんど舞台装置のない演劇やオペラなどに比べればお金のかからない公演をします。しかし落語は「もの」を見せているのではなく、元はタダのものを「いかに面白く、魅力的に、惹きつける技をもって、演じているか」ということを商売としているのではないでしょうか。

ネットのサービスがユーザーの動向を調べているというと「気持ち悪い」といわれることがありますが、落語家は舞台を経験して「あの時、受けがよかったな」とか「あの部分、いまいち客の反応がわるかったな」ということも反省して次の公演に活かしていくわけですが、そういうユーザーの動向を研究することを気持ち悪いという観客はいるでしょうか。それもまた技術です。

我々プログラマーも、伊達や酔狂で無料のアプリを作ったりしているわけではありません。タダで当然、不具合があったり、ちょっとサービスがつながらなくなったり、UIの変更が気に入らないと、天狗芸能の鞍馬会長のように「アホ!カス!死んでまえ!クビじゃ!クビがイヤやったら死ぬまでタダ働きじゃ、このボケ!」と怒鳴っている人がよくいます。

落語家は観客が育てる部分もあると思います。それは演者と観客が同じ演目の内容を共有しているからです。こうしたほうがいい、ああしたほうがいい、あのやり方がいい、こっちのやり方がいい、そういう風に叱咤激励されてこそ、ソフトウェアも育っていく、それは同じカルチャーだと思います。

僕自身はプログラムはカルチャーだと思っていますし、色々な人がいろいろな方法で実現しているからこそ、面白いものだと思っています。
作る人も、見る人も、使う人も、皆が一緒になって考えられるカルチャーっていうのはいいな、ということを、草若師匠の言葉を聞いて考えました。


2013-11-27

ごちりとうさん (33)

知らない土地にやってきて、不慣れな文化で家事一切をおこなう嫁に対する悠太郎さんの態度はどうか、といえば、僕はいまのところ妥当だと思います。

10年もねじれ続けた関係に対してのめ以子からの「こうしたほうがいい」という一方的な断罪はちょっと無茶です。西門家はいわば戦争状態だったわけで、ドラえもんの有名なセリフを引用すると
「どちらも自分が正しいと思ってるよ、戦争なんてそんなもんだよ」なのです。
外からきた嫁だからとかじゃなくて、和枝姉さんの言うとおり「3ヶ月ほどいたくらいで」正しい解決に導けると考えるのは気が早すぎます。

では家のことは誰が決めるのか、め以子はそれを悠太郎さんに問いかけましたが、それは家長に決まっています。家のトップなのですから、決めるのは家長です。
だからこそ、トップは時に理非善悪を無視して判断することが使命となります。

ほるもん爺さん、すなわち西門家の父であった「師匠」は、それができなかったのです。
家族に問題が起こったとき、感情を封じた上での的確な判断ができず、自分の目に映る家族にとって一番いい方法を考えてしまったのです。そんな家長にはトップの判断をする資格も力もありません。去って当然でしょう。

そしてバラバラだった家族は、
「父は死んだと思おう」
という意見に一致することで一つにまとまったのです。

組織や家族のトップは相撲の横綱と同じです。その地位と責務を負った以上は、自分の立ち位置を他の人と揃える、おなじ目線で考えるなどということは許されません。横綱でいられないなら引退するだけです。

おそらく悠太郎さんは優しい判断をするでしょう。それは家長として失格の行為です。そうしてしまえば西門の家の看板は傷つきます。何がよいのかわるいのか、それは当事者にしかわかりません。

ただどこか「他人の家の出来事」として見られるのがこのごちそうさんという作品です。作品が淡々としているからこそ、視聴者は感情優先でドラマをみることができます。
これが、ごちそうさんが「現在能」であると考えている理由です。



この朝ドラは、「あなたならどう思うか」というきっかけを与えてくれています。
視聴者は何が正しいかではなく、「こう思う」「こう感じる」というふうにドラマを自分たちなりに受け取るだけの余裕があります。それはごちそうさんが分かりやすく単純な展開をしているからです。

たぶん、あまちゃんほどの情報量が多いドラマであれば、自分の感情を処理している暇を与えてもらえなかったでしょう。登場人物は少なく、うまく情報が間引きされているのも、いまのところごちそうさんが支持を受けている要因ではないかと思います。


2013-11-26

ごちりとうさん (32)

いやいや、ごちそうさんは楽しい。あまちゃんが恋しいとは思いませぬ。(劉禅)

という気分で朝ドラを楽しんでおりますおはようございます。今日はちょっと朝ドラと能楽の対比について考えてみました。

日本の伝統芸能である「能楽」には様々な演目がありますが、大きく分けて「夢幻能」といわれるものと「現在能」といわれるものに分類することができます。この分類でいいますと

あまちゃん=夢幻能
ごちそうさん=現在能

となるのではないかと思います。

あまちゃんという作品は、朝ドラと現実との境界線を「潮騒のメモリー」などを使ってボヤけさせて、見る人を夢見心地にさせる演出が特徴的でした。潮騒のメモリーはあくまで劇中で使われる架空の歌なのに、現実の世界においてもヒット作品として沢山の人に聞かれました。こうして視聴者をうまく朝ドラの虚構世界に誘ってしまうという、大変野心的な作品だったのです。

ごちそうさんは、いわば「義経と弁慶」もののように、いろんな人がよく知っているお話を題材にして、その活劇を描いていくという、現在能の姿に近いと感じます。ありきたり、お約束、または正統派、そういった道筋の上にある作品です。

ちりとてちんはどうなるのかというと、これは「複式夢幻能」という形態になると思います。複式夢幻能は前半は現実世界の出来事、後半は夢の世界の出来事で構成されており、後半になると、前半の出来事が何かをほのめかしていたというのがお決まりのパターンです。ちりとてちんの得意とする鮮やかな伏線回収は、まさに視聴者に夢か幻でも見たような心地にさせ、現実と落語の世界とがリンクして、「夢だけど、夢じゃなかった」という感動を与えてくれます。ほんとうによく出来た朝ドラです。

とりあえず、駆け落ちしたのが民子ではなく桜子だったので、ほっと胸をなでおろしています。

2013-11-25

ごちりとうさん (31)

西門家の秘密が明かされていくよりも、徐々にキャラが明かされていく希子ちゃんに心が傾きかけている筆者ですおはようございます。キャラクターが徐々に変化していくのは朝ドラの醍醐味の一つでもあります。

希子ちゃん役の高畑充希さんは、本業として歌手もやっているそうなのですが、劇中での設定でも美声の持ち主ということになっています。出身は東大阪市だそうですので大阪弁も全く問題ありませんね。

一時はめ以子さんに卑怯者呼ばわりされた希子ちゃんですが、末っ子というのはどこか覚めた目で回りを見ていることが多いようで、希子ちゃんも実はいろいろ見ていろいろ聞いていろいろ考えている、その考えが寡黙な態度から可愛らしい声で発されるところにオッサンキラーを感じます。ああ、順ちゃん最近出てこないなあ。

そのちりとてちんですが、竜雷太と渡瀬恒彦のやりとりが部分的に別のドラマになってたような気がします。迫力ありました。

たぶんあの呼吸で、草若師匠は一応の許可を天狗会長からとりつけた、ということになるのでしょうね。

小汚かった草若師匠は自ら髪の毛をさっぱりして、草々にも落語家らしい髪型にするようにと指導しています。ここからの草若師匠のファッションの変化にも注目です。

もう順ちゃん(民ちゃん)をほったらかして、希子ちゃんに浮気したのかと問い詰められそうですが、それはそうなのですが、これはあくまで浮気であるということを申し添えておきます。男は寂しがり屋ですのであまりほったらかしにしてはいけません。

2013-11-20

ごちりとうさん (30)

旦那 VS 幼なじみ  ファイッ

関西弁のまくしたてが素晴らしい、源太さん。この役者さんは泉州あたりの出身でしょうかと思って調べてみたらまさかの高知県土佐郡出身、特技はマラソンと土佐弁。箱根駅伝に出場経験があり、実業団の陸上部にも所属。陸上部が廃部となるのをきっかけに「俺、俳優になる」といって転身したという経歴だそうです。私と1歳違い。

すごいジェラスを感じます。

いままでノーマークでした。高知といえば源太さん、と言われるような俳優さんになっていくのでしょうか。益々これからが楽しみです。

悠太郎さん、反撃材料が少なかったので「嫁が可愛いから不安なんじゃ!」と開き直ってしまいました。まあ、剣幕でも負けていましたし、仕方ないですね。

歴代の朝ドラでの幼なじみキャラってどうだったっけなあ、と少し思い返してみています。

2013-11-19

ごちりとうさん (29)

ごちそうさんは「食べ物」のお話なんですが、着物も見どころが多いですね。

西門家は基本的に女性は和装なのですが、お静さんが着物道楽趣味という設定もあっていろいろな着物が楽しめるという役得もあります。

め以子さんはあれだけ身長があるので着物の仕立てもいろいろ工夫があるのだと思いますが、撮影現場ではその場で直しをしたりしながらやってたりするそうです。

私の祖父の昔の写真を見たことがありますが、外では洋装、家では和装、というスタイルが見られました。今考えてみると和装で台所仕事とか大変な話ですね。悠太郎さんは家ではくつろぎスタイルとして和服を着ていますが、和服が常のおなご衆は着物を着て着物を洗っていたわけですから、苦労が忍ばれます。

「ガスがついたから時間ができた」という言葉も女房目線で興味深いですね。炊事、洗濯、掃除、たぶんこれらは技術によって劇的に変化したのだと思います。そういうちょっとしたことを盛り込んでいるのはごちそうさんの丁寧さと言えましょう。

それにしても悠太郎さんがあっさり策略にはまりすぎているのは、ちょっと男心というものの描き方が雑ではないかと、私は気になりました。


2013-11-18

ごちりとうさん (28)

ごちそうさんの音楽は菅野よう子さんが担当しています。

菅野よう子といえば、信長の野望、三国志、大航海時代、歴史シミュレーションゲームの金字塔的ゲームの音楽を担当したことで知られています。

しかし、最近は違うようです。カウボーイ・ビバップの菅野よう子、攻殻機動隊SACの菅野よう子、朝ドラで言えば「梅ちゃん先生」のオープニングテーマの菅野よう子、となっているようです。

ごちそうさんの現状から言うと、曲のレパートリーが若干少ないのではないかと感じます。通称「木琴」と通称「ジョーズ」が繰り返し使われていて、他があまり印象に残っていません。

毎朝聞くものですので、もうちょっと幅が欲しいと思うのですがいかがでしょうか。

ゆず のテーマソングに関して言うと、「涙の川も海へとかえる」のあとで鳴るストリングスの「ぴろりぴぴろぴろり」のところが心地よくて好きです。


2013-11-16

ごちりとうさん (25・26・27合併号)

2日ほど抜けましたので、いつもより多めにしております。

私も三十路を通り過ぎ、和枝ねえさんだけでなく私自身から見ても、め以子の振る舞いにたいしていろいろと注文がつくような目線になってまいりました。朝ドラと共に人生のステージが進み、人は考え方も少しずつ変化してゆくものだということを教えてくれる素晴らしいコンテンツです。こんなに和枝姉さんに感情移入する日が訪れるとは思いもしませんでした。

和枝姉さんの考えというのは、明確に示されています。また、行動原理やそこに至る経緯も、示されています。今のところは西門の家と格を守り繋いでいくことへの執着がブレないので、あらゆるイビリやあらゆる嫌味に筋が通っています。め以子は若いので、一つ一つの注文に心が揺れます。これは幼馴染とのやりとりに示されていました。「わかってる、わかってるけど」それでも心が折れそうになります。自分の筋は「悠太郎さんんい365日美味しいものを食べさせたい」ですから、今は認められようという思いが先に立ちます。

一時期の朝ドラは、こういう局面においても現代っ子の明るさが古いしきたりを打ち破っていくという構図になっていました。「どんど晴れ」などがそうです。

時代が進むにしたがって考え方が新しくなるということが朝ドラの中に反映されている一方で、昔からの視聴者からの不興を買っていたのも事実ではないでしょうか。それは朝ドラ2000年代の低視聴率化に歯止めがかからなかった時期と重なります。

* * * * *

さて、その後朝ドラがいろいろと試行錯誤を重ね、「あまちゃん」のようなお祭り騒ぎ作品に至ることでとりあえず場を温めて和ませました。

そして次にやってきた「ごちそうさん」は、大変重要な役割を担っています。
朝ドラという延々と続く伝統のなかで、「朝ドラ家のしきたり」を参加者に伝えようとしているのかもしれません。

「ごちそうさん」は「おしん」みたいだという声が聞こえますが、私はおしんは見たことが無いので語ることができません。見たり体験したことがないことは書けないのです。

かつて、GLAYの作詞作曲を手がけるTAKUROは「自分自身が体験したこと以外は詞にはできない。だから『虹を渡って』とは言えないし書けないんです、虹を渡ったことがないから」というようなことをインタビューで語っていました。素晴らしい意見だと思います。

それはいいんですが、では「ごちそうさん」は現時点で朝ドラのターニングポイントとなる作品になるかといえば、答えは NOです。

ごちそうさんは「土曜日がある。土曜日があればなんとか話はまとめられる」という土曜日依存に陥っています。9回は藤川球児がいるから任せておけば大丈夫という、かつての阪神タイガースに似ています。

しかし、ごちそうさんはちょっとマズいところがあります。

ごちそうさんは、8回裏が終了した時点でスコアが0−0の状態で試合を藤川球児に託しているようなものです。ちゃんと点を入れてリードを奪ってから抑えに繋がないといけないのに、仮にゼロ点に抑えてもせいぜい引き分けという局面で藤川球児を登場させます。

朝ドラの場合それによって何が起こるのか。全てが土曜日に解決してしまう、という現象です。これが2000年台の朝ドラが陥っていたことです。もっと言えば阪神タイガースが陥っていた状態とも重なります。

戦力としては素晴らしいのに、日本一に届かなかった、阪神タイガースと大変状況が似ています。和枝姉さんという近年の朝ドラ稀にみるエースピッチャーを擁しながら、このままでは和枝姉さん頼みになり、抑えの土曜日依存が進み、ちょっとバランスのわるい状態になってしまうのです。

ハプニングが起こって大事になって、最後にめ以子がピシャっとしめてめでたしめでたし・・・・いや、半年の全体を通じてそれならいいかもしれません、しかし毎週それを見せられていてはちょっと困ります。

どうか、「土曜日で解決」という流れはあまり続けないで欲しいです。私が現時点でこの作品がターニングポイントに推挙できない理由です。

* * * * *

あまりにも宮嶋麻衣ちゃんが出てこないので、他に色気のある女性キャラクターはいないかと物色してみると加藤あいが目につきましたが、これまた全然画面に出てこなくなりました。どうも、ごちそうさんは登場キャラクターが少なめですね。女性に限らず、かなり限定されたキャストで物語を回してる感じがいたします。


* * * * *

ちりとてちんに登場する、徒然亭草原役の桂吉弥さん、本職の落語をするときはかなり抑えめに演じられているような感じがします。おそらく本気を出してしまうと草若師匠や草々の落語がちょっと弱くなってしまうからではないかな、と勝手に思っていますが。

ただ、やっぱり随所に挿入される回想シーンでの草若師匠の大きさ、暖かさ、迫力、どれを取っても上方落語四天王と異名をとるだけのことは感じてしまいます。ここまでの丁寧な描き方をごちそうさんに要求するのは酷かもしれません、なにせ相手が朝ドラ最強の作品ですから。でも、同シーズンに放送となったのも何かの縁です、おなじ大阪を舞台とする作品として今後は月曜から金曜までまんべんなく使って、朝ドラをやってほしいと願うばかりです。



2013-11-13

ごちりとうさん (24)

近藤正臣さんといえば、私にとっては大河ドラマ「龍馬伝」の山内容堂役が印象に残っています。重要な役どころではありますが、いかにも狡猾な殿様らしい演技が好きでした。

「ほうるもんじいさん」という役どころで登場してきましたが、これ、「どんど晴れ」視聴者には一発で「おいおい、このパターンかよ」と分かる展開ですね。

・過去を明かさない
・若い女性と一緒にいる
・その辺に住む子どもたちに勉強を教えてたり、なにかと世話をする

はいどう見ても奥田瑛二の役ですね本当にありがとうございます、という感じです。

これまでの流れから言えば、西門家と何か関係がある、っていうかお父さんやろこれ、と、どこまで知らんふりしておけばいいのか作者の意図がよくわからないのですが。

この作品、朝ドラらしいと思われつつも、朝ドラにしては作りが変則的なところがよくありますので油断はできません。油断はできませんが、どう考えてもお父さんです。

近藤さんは京都ご出身ということで、こんごのドラマの雰囲気作りにも一役担ってくれそうな重要な役どころの登場でした。

ちりとてちんの「寝床」のおかみさん、いいですね、こういう女性。こういう方がいる飲食店は良い店が多いと思います。たった一言、「酒くれ」「飲ますわけないやろ!」というやり取りでしたが、素晴らしいです。これだけで、ぐっと引き込まれます。言い方、言うタイミング、完璧でした。リアリティが増します。この場面この役にこのセリフを言わせるあたり、ちりとてちん作者は恐ろしいなあと感服いたします。

今日少し登場した民ちゃんに、まともに聞こえてくるセリフが無かったことについては問いません、そこにいるだけで可愛いからいいです。



2013-11-12

ごちりとうさん (23)

私が、日本の東西の食文化の差をもっとも感じたことの一つは、そばです。

東京には本当に沢山のそば屋があって、立ち食いそばの店もそこかしこに見かけます。始終すましたところがあっても、そば屋だけはどこか人間らしく佇んでいて東京のオアシスだと感じます。

仕事で東京に行った時によく宿泊するところの近くにも立ち食いそば屋があり、大変気に入っていました。私はちくわ天入りのそばが好きでそれをよく頼んでいました。何度も行くうちに色々なメニューがあることを見て、あるとき気になったので店の人に聞いてみたことがあります。
「ざるそば と もりそば、 何が違うんですか?」
見たところ、ざるそばにはきざみ海苔がのっていますが、もりそばには乗っていません。価格差は20円ぐらいでした。
お店のひとの答えはまさかの「さあー」でした。

そこで海苔のことを指摘すると「あー、そうですね、ざるそばには海苔がつきますね」という反応が帰ってきました。私はもうそれ以上は追求をするのはやめました。

中身が一緒でも、のってるものがが違えば名前が異なるのは面白いとおもいましたが、未だ決定的な「ざるそば」と「もりそば」の違いが私には分かっていません。そもそも西では「もりそば」というメニューを見かけたことがほとんど無いような気がします。

東西の食文化というよりも、育ちと環境の差に戸惑っている感があるめ以子さんですが、わからないことは一つ一つわかっていく、わからない場合は、そういうものか、と割り切る姿勢も持ったほうが疲れないのではないかというのは大人の意見で面白くないのかもしれません。

吉弥さんの顔が若いですね。やっぱり6年という歳月は人の顔つきを変えますね。

小草若の本名が「人志」だということがわかりました。さて、問題です。
草若以外に小草若のことをこの名前で読んでいるのは誰でしょう?

宮嶋麻衣さんは西の朝ドラによく出演しているのですが、東の方にはあまり馴染みがないのでしょうか?


2013-11-11

ごちりとうさん (22)

嫁いびりを決して正当化するわけではありませんが、和枝姉さんの言うことにはいちいち理があると思われるのが困ったところです。

ある意味、こういう話を今この時代にやっておかないと「師匠の噺が途絶えてしまう」のと同様、人の成長過程における大事なことが途絶えてしまうのかもしれません。現代的なやり方に変えられるものはかえつつ、姉さんの言っているようなことを留意して生きていく必要もあるのではないかと感じます。

時事的な話題となりますが、最近よく食品偽装のお話を聞きます。私はこれは、和枝姉さんが今日言った言葉が忘れられていることに、一定の理由があるのではないかと思います。「銭をかけたらなんぼでも美味しいものは食べられます」というのは、それをあらわしていると思います。

私達は「銭をかけたらなんぼでも美味しいものは食べられます」の、表面的な意味だけを捉えてしまっているせいで、食品偽装の問題がこれだけ問題化しているのではないでしょうか。良い食材を使っているということに対して、あまりに人任せにし過ぎなのではないでしょうか。

「ててかむイワシ」が「手を噛まない」というクレームに対して、何を感じるでしょうか。それがイワシという食材に対して何を求めているのか、食べる人本人の気持ちが鏡写しになっているような気がします。

イワシは「鰯」です。弱いので、すぐ痛みます。新鮮なうちに扱わないと味も風味も落ちてしまいます。手を噛むくらい生きが良いということを、かように表現したわけです。手を噛むかどうかを求めれば嘘ですが、美味しいかどうかを求めれば意味は違ってきます。

これに関しては言いたいことがあるのですが、「ごちそうさんと食品偽装」としてまた別に論じたいと思っていますので、あまり深追いしません。

和枝姉さんの表面的なイビリに動ぜず、是非め以子にも、銭をかけない美味しい料理というものを探し求めて欲しいとおもいます。

さて、ちりとてちんのほうですが、草々は師匠の落語を受け継ぐ、伝承していくという役割に異様な執着を持っています。伝統の継承というこのドラマのテーマの一つとして重要なエピソードです。

そして草若師匠は草々に対して「落語は、舞台に上がる演者一人で作るものではない。沢山の人の協力があって出来上がるものだ」ということを説教します。この人はどんな境遇にあっても「師匠」であることを止めません。それが「師匠業」を行う者のプロフェッショナルさですね。

宮嶋麻衣ちゃん演じる順ちゃんの家では焼き鯖を売っていますが、鯖も非常に足が早いですね。そう言われて、え?100メートル何秒?とか聞く人は意味を考えなおしてください。


2013-11-09

ごちりとうさん (21)

今週は両作品とも、王道の落とし方で土曜日を終えました。一件落着させておいて、次週へのきっかけを作って次週予告という黄金の方程式が揃い踏みしました。

それぞれの作品の留意点を見ておきましょう。

ごちそうさんは、巷では「嫁いびりドラマ」「大阪版渡鬼」「姉さん、もうやめて」などと言われているようですが、ちょっとまってください、これはあくまで「ものを喰らう物語」ですよ、そこを忘れないでください。

少々姉さんのイケズがすぎるからといって、そちらに目を奪われるのは「孔明の罠」にかかりに行くようなものです、冷静にお願いします。

ちりとてちんは、緻密な伏線が張られたドラマですが、今回「おじいちゃんのテープの声の主は、草若師匠だった」ことが判明しました。よし、一個回収!と思いますね、ちがいます、これは孔明の罠です。実はこれ二重伏線です。釣られないようにしてください。

それより大事なのは、草々の言ったこと「兄貴が1人に弟が2人」、まあこれは草若一門のことを言ってることは次週予告からも明らかです。

ただ問題は、あの文脈で喜代美に「兄弟は?」と聞かれてすぐに、実の兄弟のことではなく、一門の兄弟子と弟弟子のことを草々が答えた、ということです。草々は不器用で真っ直ぐな人だ、ということを踏まえればこれが重要な伏線となってきます。

私は6年振りにこのドラマをみるわけですが、こんな振る舞いまで計算されていたのだなあ、と、改めてその緻密さ、丁寧さに感服するばかりです。

今週は記事のアップが遅れたり、内容が乱れたりして申し訳ありませんでした。
それもこれも宮嶋麻衣ちゃんが画面からご無沙汰なのがいけないんですよ。


2013-11-08

ごちりとうさん (番外編・2) 「朝ドラ学部とは?」

「【朝ドラ学部】って何?」という疑問をもたれるかもしれないので、よく考えると説明を書いていなかったので改めて書き記しておきます。

朝ドラ学部とは一言でいいますと、「トークサロン企画」ということになるかと思います。トーク=お話をする。サロン=集まる、ということで、朝ドラについて話したい人が集まる、ということになります。

これを、「岩戸山ほぼ2畳大学」 に所属する「学部」という組織の体裁をとっているのが「朝ドラ学部」ということになります。他にも学部があり、それぞれのテーマをもって学部として活動をしています。

00年代にはこうした、講演・セミナー・勉強会 etc といった継続的な集まりのことに、それっぽい組織名をあてて、さもそういう場所があるかのように言う、という傾向があちこちで見られました。それに近いのかもしれないです。

「朝ドラ学部」や「岩戸山ほぼ2畳大学」は特に決まったキャンパスや研究室を持っているわけではありません。活動はといえば、ときどきTwitterを通じて朝ドラに関しての情報や考察を共有していたりもします。

といっても、学術研究といえるようなことは特にしていません。日々ぼんやり朝ドラのことを考えていることを「研究する」ということになぞらえて言っているわけです。私のプロフィールは見て頂いてのとおり只の風呂好きな男なのですが、ただ単に朝ドラを見続けているという理由だけで参加させてもらってるようなものです。

朝ドラについて話したりするときの切り口は、参加者皆それぞれにバラバラです。一つの朝ドラを複数の視点から語ると、また違った発見や解釈ができる、そんなちょっとしたワクワク感を楽しむ遊びである、と考えてもよいのかもしれません。

朝ドラ学部はたまに「授業」をやります。それが上記の「ほぼ2畳大学」の活動日にあたります。今のところ次回授業日は未定なのですが、授業は公開で行われますので、朝ドラに興味がある方や、ただ単に話を聞いてみたいという人でも参加できます。

よろしければ、岩戸山ほぼ2畳大学の活動情報(Twitter) などもご覧いただければと思います。

地道に活動していれば、いつか宮嶋麻衣さんが特別講師をしに来てくれるという希望だけは捨てずに歩んでいきたいと思います。


2013-11-07

ごちりとうさん (20)

なんと20回も続きました。
記念に関係ないこと書きます。

ちりとてちんが放送されたのは6年前です。6年前っていったら、あぁた 、私20代ですよ。ちりとてちんが始まったぐらいにちょうどトルコにイスケンデルケバブ食べにいってましたよ。

いま使ってるガラケーに機種変更したのはその時ですね。まだ使ってるのですがボロボロです。

プリングルスにはまったのもその頃です。最近は味覚が変わってプリングルスは食えません。

なんていうか、時の経つのは早いですね。その頃よりビール飲むようになりました。

まだ自転車には出会って無かったですね。

その頃はまだ黒川芽以がベストオブ朝ドラ俳優でした。

そしてその座はこの時以来、宮嶋舞衣さんです。


2013-11-06

ごちりとうさん (19)

日本よ、
これが朝ドラだ


※嫁小姑関係の考え方には個人差があります と、ことわりを入れた上で、
姉さんの行動は意地悪なのですが、朝ドラ的に読むとここは、性格が昆布のようにねじれているということよりも大事なことがあります。それは、和枝姉さんの度量は「せっせとぬかをほかしているところを目撃される」という、その程度の浅さと、詰めの甘さであるということが今日語られたところにあります。

「西門の味を教えてください」と請うめ以子に対して「その言葉を待っていました」という貫禄を見せました。これによって我々は「この人物にはもっと長くて深い狙い目が設定されている」と読みます。

め以子が庭に鶏スープがほかされているのを目撃しますが、この時点では証拠はありません。フェイクの可能性も頭に入れて読み進める必要があるのです。

ところが同日のうちに、姉さんが庭にウンチングスタイルでぬかを壺からかき出して、それをめ以子に制止されて尻もちをつきます。これは「小者のふるまい」だと思えます。ここが今日のハイライトではないでしょうか。

相変わらず姉さんイビリは続いていきますが、この人物設定はだいたい見えてきましたので、め以子の超える山は非常に高いですが、ピークは見えてきているかもしれません、頑張ってください。

ちりとてちんのほうは、お母ちゃん(糸子)がお日様のような温かみと大きさを見せつける日でした。この人の度量はいまだ底が見えません。視聴者はその深すぎる糸子に、いずれ涙することになるでしょう。楽しみにしてください。

「懐の深さ」はちりとてちんで宮嶋麻衣ちゃん演じる順ちゃんにとっても、大きなキーワードです。冷静沈着で「何が起こっても天災、天から来た災いやと思ってあきらめる」という深さを見せる順ちゃんが・・・・あ、いや、やめておきます。

喜代美が草々の「次の御用日」を「聴いてられない、聴くのが辛い」と感じるように、みなさんも明日は姉さんのどんないじめがあるのかと不安で見ていられないかもしれませんが、明日も楽しみに見てみることにしましょうね。


2013-11-05

ごちりとうさん (18)

め以子さんには気の毒ですが、がんばっておくんなはれと言うしかありません。

そして、とうとうボロがでてきてしまいましたね。め以子のことが?いいえ。

ちりとてちんと並走していると、ごちそうさんのドラマの雑さが際立っています。

喜代美はおじいちゃんの命日にあわせて帰省します。それに絡めるエピソードが非常に綺麗であり自然になっています。おじいちゃんに会いたいという気持ちと、スピード失恋の痛手でその場にいられない、この2つの主人公の気持ちがドラマ的でありながら自然な形で主人公を小浜に移動させています。

ごちそうさんは、ちょっとそこんところが雑です。

醤油の色が違う、味噌の味が違う、出汁のとり方が違う、これらの知識はいずれも東京と大阪の食文化の違いとして繰り返し使われる「記号」です。100年たった今でもまだ言う人がいます。ですが、月曜と火曜のわずか2日にこれらの記号をザルからひっくり返したみたいに流し込んでおいて、これ、ちゃんと回収できるんですか?
大阪は東京とは味が違います、っていうことが言いたかっただけと違いますやろね。

やるんなら、なぜ醤油の色は薄いのか、それをあとから回収しつつ異文化理解と家庭内の問題に向き合うというエピソードをきちんと語ってもらいたいです。そうでないとただ文化の違いを描くためだけの「捨て記号」になってしまいますから。

ちりとてちんには、こういう「捨て記号」的なものはほとんどありません。タイのアラですら料理に使い尽くす、そういう脚本作りがなされています。

どうしてこんな苦言を言うかといいますと、以前「米は音で研ぐ」ということを母親からめ以子に教える下りがありました。そして、悠太郎さんが寝込んでいる時にめ以子が米を研ぐ音を悠太郎さんが聞いていました。

ここが回収ポイントです。ここでその教えをを再び登場させて使うと効くんです。

なのに何故、ドラマを打ち込まないのでしょうか?どう考えても「米は音で研ぐ」に関しての物語をフルスイングでかっとばすところではないですか?脚本家は何をやってるんですか?それとも演出家が脚本の意図をきちんと読み込めていないんですか?

め以子と姉さんよろしく、意思疎通ができていないんと違いますか?お互いのこと嫌いなんですか?

め以子の西門家での振る舞いもそうなのですが、ごちそうさんのドラマ自体も、大阪での新展開がガサツです。丁寧にビルドアップしていってほしいと思います。警鐘の意味を込めて書かせて頂きました。

内容はというと、「こんなこと、今の時代にはありえへんわ」と思う方もいらっしゃるかと思いますが、そんなことはありません。今なら、

嫁ツイート「ちょw、うちの小姑がお膳ひっくり返してんけどwwwありえへんwww(写真付き)

小姑(スマホをみせながら)「これはなんだす?」

嫁「う・・・・」

小姑「お友達にリツイートさせてもらいます」

嫁「あっ・・・」 → 炎上 

NHKキャスター「・・・ということが大阪でおこったのですが」

解説者「これはネットの弊害ですね。これからは家庭内で起こったこともネットには流さないようにして身を守ることが必要です」

という事案が起こっても不思議ではありません。

私も心苦しいですが、今日はちょっと小言を言わせてもらいました。
ちょっとまわりくどかったかもしれません。
いつも言いたいことズバッと言えるのは順ちゃんぐらいです。




2013-11-04

ごちりとうさん (17)

大阪にやってきため以子は、大方の予想通りあまり歓迎されてはいないようです。
でも、「主人となる男性より先に家に上った」などといったことは、口実に過ぎません。気に入らないものは気に入らない、それだけが理由なのです。

フリーライター奈津子さんも言っていましたが、容姿が綺麗だというのは看板に過ぎないそうです。「肉じゃが女」を毛嫌いする奈津子さんは家事全般が苦手なため、それが原因で振られてしまったという過去があるようです。つまり、奈津子さんという存在を解読すると「容姿が綺麗で仕事も自立して行えていても、家事ができなければダメな女」ということになります。奈津子さんはそういう存在として描かれています。

喜代美は家事に追われて家族のためだけに生活しているような糸子(母親)のようになりたくない、といって奈津子さんのいる大阪に出てきたわけですが、その大阪で恋をします。しかし奈津子さんは、恋の果てにある「男性は女性に何を求めているか」という苦い経験を提示します。

さて、ごちそうさんはどうでしょう。ご飯を1日3回炊くのはもったいない、贅沢だ、とかそういういうことは、やはり「口実」に過ぎないのです。もともと気に入らないから、気に入らない理由を探しているのです。朝、ランニングに行こうと思っても、天気が悪かったら「雨が降りそうだから」という理由で二度寝する、そういう類のものなのです。

現代からみれば、ごちそうさんの大正時代の風習というのは古いものですが、よそ者に対して冷たいという潜在的な感覚は、今昔問わず、少なからずあるのだと思います。古い習慣で人をいじめるのは良くない、それはそうなのですが、古い習慣にもリスペクトをはらうことによって、そういう潜在的な嫌悪の感覚を和らげられるんだよ、と考えられたコミュニケーションの術なのかもしれません。20年30年と別々の人生を歩んだ者同士が、完全に価値観を揃えることは不可能に近いわけですから。

おいしいものを食べる、それは皆を幸せにする大切なことです。しかしながら、「おいしいものが全てを解決する」という論法は、朝ドラにおいては駄作フラグとなります。「明るく前向きなヒロインの行動が、いろんなことを解決していく」のは、ダメ作品への第一歩です。その方式を極端な形で実践した「ウェルかめ」は史上最低作とも呼ばれています。

「おいしいものは皆を幸せにする」のと同じくらい「家には家の決まり、考え方、価値観がある、それによって家族はまとまる」を扱わないと、朝ドラ作品としてはバランスが取れません。悠太郎さんの家族による、め以子への態度というのは、別に古いしきたりを礼賛しているのではないのです。この関係性を引っ張っていくこと、料理の手順で言えばそれが朝ドラの「フォン(出汁)」をしっかり取っていく期間なのです。

グローバル時代を生きる人間にとっては、かったるい事してるようにみえますが、ここでしっかりと家族が揉めていただいて、険悪になっていただいて、四面楚歌になっていただいてと、朝ドラのフォンを煮出しておかないと、あとあとの味が定まりませんので、じっくりコトコト大阪イビリを楽しんでいくことにしましょう。私は個人的にはこの展開にワクワクしております。

今日の順ちゃんの「しらんがな(´・ω・`)」は切れ味バツグンでした。


2013-11-02

ごちりとうさん (16)

ごちそうさんは、東京編が終了、大阪へと舞台が移ります。
ちりとてちんは、辻占茶屋が終了、またしてもエーコがビーコに立ちはだかります。

これで両作品とも舞台が大阪になるわけですが、ちりとてちんは大阪天満宮を中心に、天神橋筋や谷町筋など大阪の東寄り、ごちそうさんはまだ良くわかりませんが、なんとなく黒門市場っぽい雰囲気とか、ミナミのほうという雰囲気がします。

さて、重複登場人物もいろいろと出てきます。宮嶋麻衣ちゃんとおなじく朝ドラ出演4回目を誇る重鎮・キムラ緑子さんが登場、め以子をいびってくれそうな雰囲気です。この方はちりとてちんでは仏壇屋の菊江さんを演じています。菊江さんが小草若をなんと呼んでいるか、そのあたり次週以降注意してみていただければと思います。

そして、ちりとてちんの「一発キャラ」の中でも何故か異様に人気の高い、
あわれの田中が、ごちそうさんに登場です!!

徳井優さんという俳優ですが、なんと朝ドラ登場回数6回目を誇ります。
関西の方には「勉強しまっせ引っ越しのサカイ」が一番お馴染みなのではないでしょうか。

さて、ごちそうさんに登場の室井さんも大阪にやってくるようですね。室井さん演じる俳優さんのTwitterからですが、この写真が話題になっています。



このヒゲに注目すると、いまの室井さんからすると、おヒゲが立派になっていますね。ひょっとして室井さんは文豪になっていくのではないかというマニアックな分析が出ています。辻占茶屋ぐらいマニアックな情報ですので、話半分ぐらいに聞いておいたほうがいいとおもわれます。

そんなわけで、今週も土曜日が終わりました。
月曜日は祝日ですがいつも通り朝ドラはありますので、みなさんお見逃しのないように。

民ちゃんは大阪にけえへんのかねー。


2013-11-01

ごちりとうさん (15)

いろいろ明言回です。

徒然亭草若「不器用でええやないか。不器用なやつほど稽古する。
たくさん稽古するやつは、上手になる。」

め以子のお父さん「あいつ・・・・どんどん変わっていくんですよ」

朝ドラの本質は「人の成長」ということにつきます。不器用なくらい、その本質からは外れないのです。

視聴者を楽しませるために、いろいろな変化をしながら続いています。それでも結局半年経てばリセットされ、別の本質を持った人物がどんな人生をたどるかを楽しみに見るのです。

人間って自分では成長したと思っても本質的にアホやな、ということを芸と笑いにしたのが落語なので、
徒然亭草々(前口上)「男というのは、分かっていても女に騙されるもんで」
というセリフが理解できれば立派な大人ではないでしょうか。

自分には手の届かない存在で、いずれこのブログをみた宮嶋麻衣ちゃんが、それがきっかけでデートに誘ってくれるなどということは起こらないとわかりつつも、それでも不断の努力で朝ドラについて書き続けるのです。


2013-10-31

ごちりとうさん (14)

朝ドラは朝以外にも見ることができます。昼12:45の回、夜11:00の回、さらに本放送といわれる8:00の回よりはやい7:30の回があります。

筆者は生活パターン上、7:30の回を見ますが、基本的に8:15分までは情報を出さないようにしてきました。

しかし、今日は11:00の最終放送前になってまだ何を書こうかと悩んでいる筆者ですこんばんわ。

今は再放送として朝にちりとてちん、夜にはちゅらさん、1日がこれだけ豪華な作品で埋め尽くされています。藤島部屋全盛期の大相撲のようですね。

これだけ朝ドラ祭りが繰り広げられていればいくらでも書くことあるだろうと思いますが、なぜ筆が進みません、そんな日もあるようです。

それもこれも、せっかくの海水浴シーンだったのに、ことのほか宮嶋舞衣ちゃんの水着がダサくて色気に欠けててションボリしたせいだとおもいます。

2013-10-29

ごちりとうさん (13)

夢オチではなく夢で次回に続くというのは新鮮な気がしますおはようございます。

一回プロポーズを断ったが、理由をはっきり伝えないまま、わざわざ周りの人達がその全容を解明して行きます。リアリティには欠けますが、朝ドラは視聴者が見るものですし、こういう演出は朝ドラらしい回り道ですので、各駅停車でのんびり見ましょう。

クロッシングポイントに入り浸っていて無用の長物のようだった文士にも、この局面で事態を引っ掻き回す役割が回ってきました。停滞する局面ではこういう人物の重要度が上がります。

この文士はのちにめ以子の一代記でも書いて文学賞でももらうんでしょうか。そう思わせてずっと食客という可能性もあります。

ちりとてちんでは、小草若についてのキーポイントが出てきてます。

・草々とは入門が1日違いである
・近所にすむ菊江は今の小草若の振る舞いに対して複雑な表情を見せる
・自分だけは天狗芸能に残った

いずれも、何故か、を頭の片隅に入れておくといずれ泣けます。

オープニングテロップに宮嶋舞衣が出てこない時点で心で泣いていた筆者でした。


2013-10-28

ごちりとうさん (12)

ごちそうさんんお今日のエピソードについては逆に私が皆さんに問いかけたいところではありますが、
女子会ってこういう感じなんですか?
筆者は男性ですので、「男は追いかけたら逃げる、追わせなければだめ」というセリフには背筋が冷やっとしましたが、それでもなお、頷けるところはあります。

さて、伝統芸能ファンの皆様、お待たせいたしました。
モッピーの登場です。そーこーぬーけーに、面白くなって来ましたがな。

解説不要かもしれませんが、喜代美が「誰かに似とる」と思い出した和田友春(エーコのお兄さん)も小草若と同様に、初対面でカバンでどつかれています。こういう共通項は、あとで物語の因数分解に使いますので、ちゃんと覚えておきましょう。

いまのところこうです。

喜代美にカバンでどつかれる × ( 友春 + 小草若 )= みんなアホ

ちなみに順ちゃんは素数です。


2013-10-26

ごちりとうさん (11)

空間的プロポーズをなしとげた「ごちそうさん」ですが、「川に潜る水中シーンは”あまちゃん”へのアンサーではないか」という声もあるようですが、それは考えすぎだと思います。

どちらかというとここは、「ヒロインは水に落ちる」という伝統のほうに目がいくところです。この伝統をある意味決定づけたのは「てっぱん」のせいではないかと思っています。てっぱんの番組宣伝でしつように瀧本美織を岸壁からジャンプさせまくった映像を執拗に流したことで、かなりサブリミナル的な印象付けが行われたのではないかと勝手に推測しているのですが。

まさしく「水落ち」を鉄板演出へと押し上げたわけですが、土曜日恒例の朝ドラ関連商品のお薦めのコーナーです。今週はアニメにいっときましょう。


花咲くいろは(劇場版)(TVシリーズ

「朝ドラアニメ」という呼び声もあったようですが、たしかにそういう感じはしますが、中身はやっぱりアニメの型通りだったりもするので、設定が朝ドラっぽい、と言ったほうがしっくりくるかもしれませんね。

主人公が母親の実家の温泉旅館に預けられて、仲居として働きながら学校に通いつつ青春劇をくりひろげます。確かに朝ドラにありそうなお話です。ただなんとなく朝ドラには「おしん」のイメージが未だに世間には根強いのかなというのと、同じような時期に「どんど晴れ」が放送されていたことも関係しているかもしれないな、ということを思います。

アニメにはアニメの型があると申しましたが、アニメには「水着回」というのがあるらしいですが、それが今回朝ドラに逆輸入されるみたいです。ごちそうさんの予告編には海で遊ぶ仲良し3人組の姿がありましたね。

と、いうことは、来週は宮嶋麻衣の水着姿が・・・・・・


2013-10-25

ごちりとうさん (番外編)

まさか10日以上続くとは自分も思っていませんでしたし、誰にも期待されずに始めてしまったブログですが、ひとえに「ちりとてちん」の愛のなせる業であろうと、ただ感謝するのみです。

もちろん現在進行である「ごちそうさん」も、今のところ出来栄えのよい朝ドラであることは確かです。それをさし置いても再放送枠のちりとてちんは私にとって特別な作品です。

ことの発端は「岩戸山ほぼ2畳大学」という企画の1コーナーとして朝ドラについて喋らせていただく、という機会がありました。そこで「朝ドラリツイート」といって過去に自分が見た朝ドラ作品たちを全て140字で説明する、というのをやったらことのほか受けました。その時に「意外にみんな朝ドラを見てないんだ」という世間の常識をようやく理解したのです。

また、とあるところで「好きな朝ドラアンケート」をみたら、「あまちゃん」を抑えて1位だったのが「ちりとてちん」でした。みんな意外にちりとてちんが好きなんだということもわかりました。

文章が上手いわけではないし、世間との交渉をあまり好まない私ですが、朝ドラについて書くことが社会との接点になるのなら、自分も発言してみようと思ったのがこのブログのきっかけです。

願わくば、一人でも多くの人に朝ドラの魅力を届けられたらと思います。でもそれを通じて私がやりたいことは、なぜ数ある朝ドラの中で「ちりとてちん」はかくも別格であるのか、それを他の人に分かるように説明できるために、その言葉を探して半年間、自分の考えを書くことで掘り下げてみよう、ということでもあるのでした。

宮嶋舞衣さんの魅力については私が語るに及びませんので、ここでは省略させていただきます。


ごちりとうさん (10)

あわれの田中が出てきました。

田中の所属する「掛け取りローン」から分かるように、借金取りを撃退する演目「掛け取り」を題材にしたエピソードでした。

草若さんがニヤニヤして見ているのは、いろいろ抱えて、一生懸命やってるけど、うまくいかない、落語の登場人物のようなビーコを楽しんでいるのでしょう。

鼻つまみ者の草若邸、弟子、向かいの居酒屋の連中や借金取り、小浜からきた親子、疎まれてるはずなのにこの場所に人が集まって、まるでそこが寄席のようになっている、それが草若の家の原型なのです。

最後の最後「大草若の小さな家」のエピソードにて、私が3回見て3回泣いたシーンの、これがはじまりでもあるのです。

ごちそうさんは、ラブコメ大爆発寸前で口のはさみようがありません。明日みんなで顔を真っ赤にして
「でたwwwwwwww」とか言って楽しみましょう。

民ちゃんかわえー




2013-10-24

ごちりとうさん (9)

完全にラブコメ、または、完全に落語のような世界、ということに尽きる本日のエピソードでございました。それで尽きてしまってはなんですので、ちょっと前の話でも。

先週土曜日のちりとてちんには「あまちゃん」の中で登場する「あるシーン」と共通するシーンがあったのはお気づきでしたでしょうか。

鉄道に乗って旅立つヒロインに向かって大漁旗で応援する、というシーンです。

このシーンをよくよく見ると両作品の性格の差が見えてきました。

あまちゃんでは、夏ばっばが海岸で大漁旗を振って応援します。大変、絵になるシーンです。しかしこのシーン以前にアイテムとして大漁旗は登場していません。画面上のどこかには映っていたのかもしれませんが、登場人物の夏ばっばと重要アイテムの大漁旗が具体的に結び付けられている演出は無かったように思います。夫が漁師で海女なんだから大漁旗ぐらい持ってるでしょ、という前提で描かれています。

映像としてはあまちゃんのほうが優れていたと感じます。ですが同時にあまちゃんは「映像表現に頼った作り」になっているとも言えます。

一方で、ちりとてちんはどうか。まず前日までに「ふるさと」の歌と大漁旗を話に登場させておき、その後旅立ちのシーンで「ふるさと」の熱唱という伏線回収を行いながら大漁旗を振って、二つを合流させて涙を誘うシーンを組み上げています。
つまり目と耳のダブルパンチで視聴者に訴えてくるのです。

細やかさ、丁寧さにおいてはちりとてちんが一枚上だったと思います。もちろんあまちゃんのほうはテンポがよく、変に説明臭くならないという良さもあったと思います。

朝ドラは長い戦いです。緩急も重要です。あまちゃんのようなロケットスタートから走り続ける展開は異色で、細やかな気配りが安定したドラマを組み立てているのも朝ドラならではであり、ここが「ちりとて」が朝ドラ最強に君臨する要因でもあるのです。

それにしても、和久井映見演ずるお母ちゃん、嗅覚が鋭すぎますね。
宮嶋麻衣ちゃんが「ちりとてちん」のあと「カーネーション」「純と愛」そして今回の「ごちそうさん」と、朝ドラに何度も登場するぐらい可愛く魅力的な女優さんになっていくということをとっくに嗅ぎつけていた私の嗅覚と同じぐらい鋭いです。

2013-10-23

ごちりとうさん (8)

場人物が増加してくる時期に入ってきておりますが、ちょっと整理しておきましょう。

朝ドラでは登場人物パターンがだいたい決まっています。
ヒロインとその親、兄弟。近所の家族。故郷から本舞台へ移動した先で知り合う家族、彼氏または夫、仕事の同僚など、まあ、基本的には「家族」というのが基本単位になっています。

そしてこれら多種多様な登場人物をまとめる装置として、「クロッシングポイント」があります。

「あまちゃん」でいえば「喫茶リアス」、「ちりとてちん」で言えば「寝床」など、人や情報が行き交う「クロッシングポイント」の存在です。人々がここに集い、うわさ話などをして、ドラマのなかの色々な筋が束ねられていったりするわけです。

ごちそうさんでは、西門さんの幼なじみの亜貴子さん、電停での会話からするとフィアンセかそれに該当するようなお相手がいることが示唆されていました。それがめ以子に伝わらないのは西門さんの「にぶさ」であったり「周りくどい」せいだったりします。

通常こういう重要な情報は、直接伝えられることは少なく、上記の「クロッシングポイント」を経由してジリジリと広まっていき、最終的にはどこかのタイミング、どこかの場所でパーンとつながる、そういう「緊張と緩和」の繰り返しによって進んでいきます。ちなみにこの「緊張と緩和」というのは落語家・桂枝雀の提唱した理論です。

ちなみに寝床によくいる磯七(松尾貴史)は散髪屋ですが、落語の話の中の世界、たとえば「崇徳院」という演目では、床屋が人々が噂をしたり人と出会ったりするクロッシングポイントになっていることがあり、そういうこともあって職業が散髪屋になっている、という落語ちょっとしたネタみたいなのも盛り込まれてますね。

視聴者にとってみれば結果はある程度よめている、だから考えや思いのすれ違いが発生している状態がジリジリしてイライラしてくる、それを程よいタイミングでパーンとできるかどうかが、朝ドラのリズム、テンポの良し悪しにつながってきます。

宮嶋麻衣ちゃんの顔を毎日毎日眺めてジリジリしていけば、ちりとてちんで「伝説の長回し」と言われたエピソードでパーンとなって、惚れてしまうこと請け合いでしょう。


2013-10-22

ごちりとうさん (7)

レーションを誰が行うかも、朝ドラの雰囲気を決める重要な要素ですね。ちりとてちんでは、喜代美が大人になってから自分のことを振り返って語っている、という設定になっています。

以前「風のハルカ」では、由布院にある由布岳がナレーションという、非生物がナレーションを行うという事例が見られました。

なお、ごちそうさんでは亡くなったおばあちゃんが「ぬか床の精」に姿を変えてヒロインを見守りますが、クレジットではしっかり「ぬか床 吉行和子」と記載されています。
ちりとてちんの上沼恵美子は、落語家になった喜代美の将来という設定ですので、語り口が落語の前口上のような感じになっています。

関西製作だからかどうかは知りませんが、ごちそうさんとちりとてちんは共にナレーションがヒロインにツッコミを入れることがしばしばありますね。
ぬか床は「ええ?いいのかい?め以子」と絡んだり、上沼恵美子は「だから、それを止めいっちゅうのに!」と過去の自分のもどかしさにチャチャを入れたりします。

ごちそうさんのぬか床さんは、視聴者にというよりは、め以子に向かって話しかけることも多いですね。

ストーリーのほうはというと「偶然?必然?」というごちそうさんのオープニングの歌詞のとおり「美人は何をしても得をする」というエピソードが両作品においてオーバーラップしていますね。エーコは邪気はないのに喜代美を落ち込ませるし、大阪から来た亜貴子さんはめ以子を困惑させています。

ちりとてちんも、ごちそうさんも、大阪の方言でしゃべる人がいろいろ登場しますが、今日はとうとう草若師匠が登場しました。ごちそうさんの西門さんや亜貴子さんも関西弁でしゃべりますが、それらについては基本的にこのレビューでは文句はいいません。別にどんな大阪・関西弁であっても、今のところ池脇千鶴と尾野真千子がずば抜けていることは間違いのない事実ですので、比較してもしょうがありません。渡瀬恒彦の噺言葉が微妙であってもそこはいいのです。宮嶋麻衣さんの関西弁も可愛いからそれでいいのです。


2013-10-21

ごちりとうさん (6)

統の「月曜日は振り返り」「月曜日に新キャラクター登場」「月曜日になったら土曜日に順調だった流れが不穏になる」で、せっかち視聴者をイライラさせてくれる素晴らしい展開ですねおはようございます。

いや、だから先週指摘したんですが、あまちゃんのような月曜日の展開が特殊なんです。本来はこれでいいのです。「しおりの人」をご丁寧に回想シーン挿入で説明してくれる入念な仕込みが料理の美味しさを引き立てます。くどいとも言うのですが。そしてどう考えても恋が上手くいかないフラグを立てています。節操がありません。いいですね。

ちりとてちんのほうは、喜代美が大阪にやってきました。まだ工事中だったころの桜橋口改札が映ってますね、懐かしいですね、ギャレ大阪とかありましたね。ホームレスがいたところは大阪第3ビルの横あたりの宝くじ売り場のあたりとかですかね、まあそういう聖地についてはもっと詳しい識者に委ねるとしましょう。

さて、測ったように両方の作品において
「ヒロインが、自分が変わっていく感じに高揚する」
「身近な人に自分の知らない世界があることを目の当たりにして疎外感を感じる」
という展開が起こっています。わざとでしょうか、まさかそこまでの計算はないと思いますが、しかし成長のためには超えなければならない壁が登場する、それが用意されたかのように出てくる都合の良さも朝ドラの彩りでございます。

さて、「あまちゃんでは1カ月ぐらい怒涛の序盤の展開で息をもつかせないジェットコースター感覚だったのに、なにこのタルさ、もう見るのいや、以前のあまちゃんが懐かしい!」という視聴者も出てきたころではないでしょうか。

そんなあなたに、朝ドラOB・OGが出演している「ハードナッツ!」をご紹介しておきましょう。
橋本愛が出演しておりますが、キャラクターが「ブラックユイちゃん」と「アキ」を足したような感じに仕上がっております。想定範囲のルートを歩んでおられますね。一方で。高良健吾さん、「おひさま」の時の爽やかな旦那さん役の面影はもう全くありません。影のあるハンサムとして安定した位置を占めておられるようです。こういうルートということはあまり私も想定していませんでした。

朝ドラを卒業していった役者さんのその後もいろいろ楽しみながら、このタルさを楽しんで行きたいですね。宮嶋麻衣ちゃんはすでに「ちりとてちん」の時点で可愛らしさが確定していましたので私にとっては全て想定の範囲内です。


2013-10-19

ごちりとうさん (5)

曜日っていうと学校が午前中で終わって、家に帰ってから昼ごはんを食べるというのが非日常感を高めてくれて楽しかったという思い出がある世代ですおはようございます。

朝ドラは土曜日も15分ありますが、逆に長く感じるときもままあります。次の日曜日がお休みなので、月曜日まで余韻を引くような終わり方、その週までのちょっとしたまとめをする終わり方、大きな出来事、重要な出来事が起こる(ありがちなのは和解とか仲直り)、いわば「中入」ですので他の人はちょっと違った演出になっていたりします。

土曜日を見逃すと月曜日に見ると、
「あれ?おまえら仲悪くなかったっけ?」
というびっくり(・o・)状態になることがあるので、注意が必要ですね。

前期の「あまちゃん」では少し変わった土曜日の使い方でした。というよりも、月曜日のしょっぱなを、これまで従来の朝ドラでいうところの土曜日的な内容を扱っていました。

どういうことかというと、月曜日に大きな出来事をもってきて、それによって物語がどのように動くのかを1週間かけて見せていく、という手法を取っていました。これは画期的なことです。

割とめでたしめでたしチャンチャン、で終わらせるエピソードが朝ドラに多いのですが、チャンチャンの後、ヒロインを始め人々がそれによってどのような影響をうけたのか、というところを描いています。これは舞台演劇のように、舞台にいる役者全員がカメラが向いていない人も含めて常に何かをしている、それを観客はそれぞれの視点で見ている、という文化で培われたものではないかと勝手に推測しています。

ごちそうさんは、カメラを常に一点に向けていますし、ちりとてちんも基本的には絵的にはそれほど重層的ではありませんが、カメラ外でいろんなエピソードが待ち構えていて、すごいタイミングでそれが画面をずばっと横切っていくような心地よさがあります。

あまちゃんと比べると、ちりとてちんは前時代的な部分もあります。そうですねえ、カーボンフレームのロードレーサーに比べて、クロモリ素材のロードレーサー、という感じでしょうか。加速力や軽快さにおいては圧倒的に新しい素材のほうが優れています。

ごちそうさんは、ちりとてちんのような前時代的朝ドラの系譜をたどっています。けれど新しい要素も取り入れています。オープニングよりも前に1〜2分ほどドラマが入ってからテーマソングが流れだす、というのも最近使われはじめた手法です。着実に進化はしているのです。

古い、ありきたりだ、という批評は朝ドラの中ではあまりピントを得ていないような気がします。そう言っていればだいたい批評としては正しいからです。でもそれでは何も言っていないのと同じです。

素材が変わってデザインも先進的になったとしても、三角形を2つ組み合わせた形の自転車フレームの基本的設計はずっと変わっていません。朝ドラとはそのような、素材や時代が変わっていっても普遍的価値を持つ構造にこそその本来の力と魅力があるのではないでしょうか。

ちりとてちんの子役を演じた桑島真里乃さんはいま15歳ぐらいになっていますが、最近の写真をみて「喜代美や」と驚きました。こんなに大きくなってたんですね。朝ドラは1作品だけで完結しません。朝ドラ役者がその後大河ドラマに出演したり、朝ドラの脚本家が大河ドラマの脚本を書いたりと、「その後どうなったか」というところまで見ていくと、朝ドラは無限の楽しさを秘めています。

ちりとてちんで順子を演じた宮嶋麻衣さんは、ますますお綺麗になってごちそうさんで民子を演じておられます。

2013-10-18

ごちりとうさん (4)

のごとをストレートに言っていたらドラマにはなりませんので、周りくどいこと言うなあというシーンが出てきたらそれには裏腹な気持ちが隠されています。

頭の固いコンクリート教授も、事実は事実として言葉にするし、論理的なことには耳を貸す、感性として受け止めるところは受け止めている、周りくどい言い方をする人だけれど物語の重要な部分をさらっと語る存在として登場しました。月曜日に登場した新キャラが急に何かを果たして土曜日には退場するというのも朝ドラの様式美なので、この先こういうご都合キャラが出てきても文句を言ってはいけません。しかしコンクリート教授は登場人物一覧に出ているので、続投してくれる可能性は高いですね。なんとなく近代建築や都市計画と、料理の話とをからめてくるんじゃないかという予感を漂わせるエピソードでもありました。

ちりとてちんでは、いろんな人が喜代美の背中を押しています。自分はどうしたらいいのか、そんなとき回りの人は色々な示唆をくれます。め以子のほうは自分には取り立ててやりたいことはないけれど、「やりたいことはない」ということが一つの覚悟となって、徹底的に料理を作ることを発見しました。「やりたいことはない」という事ですら、一つのキッカケでもあるのですね。めんどくさい気づき方ですね。かっこいい仕事現場をみて憧れて「私もこれになる!」というのはストレートですが、それではあまりドラマが盛り上がりませんしね。

人間誰しも「どうしたらいいんだろう」となって、悔やんだりします。喜代美のお父さんも塗り箸修行をやめていた10年間を悔やみますが、おばあちゃんが「それは遠回りではない」と諭します。時に優しさ故にキツイ言い方になることもあるでしょう。「学園祭をやりなおしたい」とめげている喜代美に「無理や」と言い放つ順ちゃん(宮嶋麻衣)は今日一番の周りくどい応援をしていて輝いていて可愛かったですね。


2013-10-16

ごちりとうさん (3)

序盤の子役は必要かという議論があり、まあ作品によって有り無しでしょう、という無難な答えをしておきます。

「ごちそうさん」と「ちりとてちん」はどちらも幼少時におじいちゃん、またはおばあちゃんが亡くなって、それをきっかけにして時間がすすみ学生になっているところから本ヒロイン登場という形式をとっています。この形式は多くの朝ドラ作品に登場します。むしろそればっかりという意見もあるくらいです。

かつてはヒロインが女優への登竜門と言われた時期もありますが、子役もそれはそれで大事なポストなのかもしりませんが大人の事情にはあまり詳しくありません。

今は両方の作品とも、仲間が集まりつつあるロールプレイングゲームの序盤のような段階で、ドラマも必然的に主人公の性格形成に時間が費やされることになります。

一言で行ってしまえば、め以子は食べること以外に鈍感な子、喜代美はヘタレ、そう言ってしまえばそこまでですが、何故そういう状況になっているのかということに、子役時代の出来事が錨となっていろんな他人からの波を被りながら、自分の立ち位置を確認していきます。

いずれにしても、ひそかに重要な伏線が張り始められている時期ですので慎重に見ましょう。

立ち位置といえば、エーコがセンターにいるから和装の可愛い宮嶋麻衣ちゃんがじっくり見られないじゃないですか、ほんとにエーコは邪魔ばっかりしますね。

ごちりとうさん (2)

ドラには型があって、もっとも代表的なものは「15分で1話」という形式ですね。この長さをどう感じるかが面白さの尺度にもなります。「え、もう終わり?」と感じるときもあれば、「もうええから、次の話いけよ」と感じるときもあるでしょう。朝ドラには左上隅に時計が表示されていますから、話の進みとタイムを照らし合わせながら見るのも一つの方法です。まあ、他人の恋話というのは「話長いなあ、おい」と感じるのが常ではないでしょうか。

昨日言ったばかりですが、既に悠太郎さんの上半身裸で素振りシーンは登場していましたね。パリコレモデルだそうですので、ムキムキというよりはかっちり収まったお体をされているようです、イイナー

さて一方、「ちりとてちん」のほうは、小次郎おじちゃんに恋が芽生えたようです。朝ドラのもう一つ「型」をいうと、「思い込みをした人物が勝手に暴走してどんがらがっしゃーん」というお決まりがあります。め以子は相手が自分を好きだろうと勝手に思い込み、喜代美はエーコは自分の邪魔ばっかりすると思い込み、視聴者をやきもきさせています。傍目八目といいまして、見てるものには「なにやってんねん」と思えるようなことでも当人たちには真剣で一生懸命です。

「一生懸命に生きるアホはおもろい」これは「ちりとてちん」の主題を表す一つのセリフです。後々出てきます。それを言うのは我らが宮嶋麻衣ちゃんです。




2013-10-15

ごちりとうさん (1)

題の「あまちゃん」が終了して、身の回りの人たちは次々と帰り支度をして朝ドラから退場していきつつある。

日常の風景に戻るだけなので、また、分かっていた事なので特にさびしさは無いのだが、それでも話題に登っている間の高揚感は良いもんだったなと思いだしてしまう。

しかしまだ、朝ドラの道は途絶えない。来る人あり、行く人あり、毎朝の楽しさと面白さを日々紡いでくれる朝ドラは続いていく。

さて、今シーズンは本放送「ごちそうさん」と、BSプレミアム朝の再放送枠が「ちりとてちん」となっています。ちりとてちんは今でも大変人気の高い作品で、再放送が待望されていたがまさかこんなに早く再放送されるとは思わなかったので喜ばしい。感謝ついでに「風のハルカ」の早期再放送もお願いしたい次第でございます。

で、せっかくなので、この2つの作品を見比べながらレビューしていくことにします。ただし私が脱落したらそこが最終回です。まあ、ちりとてちんを脱落することは10000%ありえないので、ごちそうさん次第ということになるでしょうか。

早速ですが、悠太郎さん役の東出さんが「同年度の上半期下半期連続出演」ですね。「あまちゃん」では若き日の大吉を演じた彼は、本日の剣道のシーンでは三段の腕前を披露してくれました。さて、いつ上半身裸のサービスシーンが出るのか、ファンは見逃せないところではないでしょうか。

そして個人的には、「ちりとてちん」と「ごちそうさん」1日2ステージで朝ドラ登場の宮嶋麻衣さんの今後の活躍から目が離せません。


2013-06-28

喫茶店であまちゃんを語る二人(Part 2)

これは、とある時、とある場所で行われたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」について語り合った記録から抜粋したメモ書きの続きです。

変化について



D「東京編になって、席を立とうかと思ったという、その一番の原因ってどこにあるんでしょうか。
ストーリーの軸が変わっちゃったとか、全然わからない世界になったとか。」

F「東京編になったということは、宮藤官九郎のホームグラウンドである都会の下町にきたことで僕のほうがアウェーなんです。僕にとって三陸は、無理やり分けると、東京か非東京かというと三陸は非東京ということでこっち側なんですよ。」

D「故郷がその土地とは違っても、自分の知ってる風景を代入出来るっていうのはありますもんね。」

F「今、代入不可能な状態なんです(笑)」

D「あんな、アイドルのどまんなかみたいな場所とか」

F「そうですね、その目線が持てない。」

D「それは厳しいですね。」

F「朝ドラでも例えば、今まで舞台として東京が出てくるのがあったんですけど、たとえば「どんど晴れ」っていう岩手が舞台の作品があって、もともと舞台は、横浜だったかな、東京ではないんだけど、都会がめっちゃ記号的に描かれていたので、あんまり代入する必要がない、都会の暮らしってこんなもん、都会の家庭ってこんなもん、というすごい記号化されたものだけが画面上に現れるのでそんなに深く考えなくてよかったんだけど。いまアメ横とか、アイドルとか、谷中とか」

D「谷中(笑)」

F「なんだかよく分からない風景(笑)」

D「難しいですね、代入出来そうで、できない、今度は自分の知ってる風景じゃなくて、自分の知ってる何かしらの物語を代入するみたいな方法で行けるような気もするんですけど、難しいのは明らかにGMTにしろアメ横女学院にしてもAKBをモチーフにしている。」

F「それが強く出すぎてますよね。」

D「あそこまで強く押し出すのを、まあネーミングは宮藤が考えたんでしょうけど、演出的にあそこまで強く押し出されるっていうのを本人がどこまで意図してたかっていうのはちょっと分からないですけど」

F「それは・・・そうかもしれないですね。」

D「明らかにあの世界にはAKBはいないので、AKBのいない世界なので、僕らの知ってるAKBの姿をあそこに投影してもいいのかもしれない」

F「それが2重の疎外感で・・・AKBのことがわからんのです(笑)」

D「あ・・・(絶句)」

F「今日の松尾スズキのセリフと同意見なんです。で、クドカンも本当はそう思ってるんじゃ・・」

D「あ、それは、そう、ぜったいそっちやと思います。」

F「僕が後半戦に持つ視点っていうのは、脚本家自身、または春子さんかなと」

D「その目線は切らずにちょいちょい入れてくるとおもうんですけど、宮藤官九郎本人はアイドル文化っていうのは斉藤由貴とか好きやったそうなんですけど」

F「プロ意識の高い」

D「キョンキョンとかもすごく好きやったらしくて、そういうのがやっぱり原風景になってるんやろなと。
握手できるとか、会いにいけるとかっていうのはもう、純然たるアイドルじゃないんじゃないかと、あちこちのメディアで喋ってるので、そう言う目線は挟んでくるんじゃないですかね。」

F「舞台の人って、生身っていうことにこだわるのかなと思ってました」

D「あー、こだわりの微細な違いじゃないですかね。ほんとに偶像としてのアイドルが必要なんじゃないか、みたいな話をしようとしてるんじゃないかなと。
ちなみに宮藤官九郎自身は、小泉今日子と一緒にすることになって、とってもがっかりしたと。」

F「ほう」

D「自分の中でアイドルが失われてしまったと」

F「ああ、何処かにいる会えない存在だから好きだったけど、生身のキョンキョンが好きなんじゃなかったっていうことか」

D「やっぱり自分の好きだったのは本当に手の届かないところにいる小泉今日子や斉藤由貴だったんじゃないかと。
そういう「歪み」が(ドラマ中に)出てくるんじゃないかと思ってるんですけどね(笑)」

F「じゃあ、アイドルをあんな描き方を、本当にしたいんでしょうか、変な自己紹介とか。」

D「あれは鈴鹿ひろ美を出してくるための前フリなんじゃないかと僕は思ってるんですけどね」

F「どういうポジションで出てくるんでしょうね」

D「あー、いま、「自己紹介」させてるじゃないですか」

F「はい」

D「自分紹介をするときの人の態度とかが全然違うでしょ一人ひとり。あれ、自己紹介をさせることによって、自己紹介の裏に流れてる人の姿を映し出そうとしてるんじゃないのかなと」

F「??? も、もういちどおねがいします・・・」

D「あの、アイドルの枠っていうか、アイドルの仕事、あれに取り組む一人一人の姿を映し出すほうにむしろ主眼があるんじゃないのかなと。いまアイドルの自己紹介の話ですけど、アイドルの仕事を全うしようとするときに見えてくる一人一人の”アイドルっぽく無いところ”を照射しようとしてるんじゃないかなと思って見てるんですね。どう広げていくのか分からないですけど。

その時に、鈴鹿ひろ美はおそらく登場してくると僕は踏んでるんですけど、鈴鹿ひろ美はきっとGMTとかアメ横女学院とかとはあきらかに切り離された存在として登場してくるんじゃないかなと。純・アイドル観との対比をきっとあれだけ人をいっぱい出して際立たせようとしてる。」

F「物語のトータルで見た時に、そこと「海女」とはどう引っかかってくるんでしょう。」

D「えーと、アイドルとですか」

F「東京でアイドルを描き、アイドルのありかた、みたいなものを描き、あまちゃんという一つの作品の中で一方では三陸の海女をあつかうことによって、同時にこの2つを扱うことによって何を描きたいのかというと」

D「いま考えたんですけど、鈴鹿ひろみ的なアイドルも、AKB的なアイドルもどちらも否定しようとしてないんじゃないか。海女のほうは鈴鹿ひろ美のほうと対応させようとしているんじゃないか。古くからあるアイドルの、そういう形態のものが失われかねない状況にあるという点で対応している。潮騒のメモリーズを地方におけるアイドルとして海女をみてみると、今まで描いてきたのは「会いにいけるアイドル」のほうで書いてる。やっぱりどちらも否定しようとしていないし鈴鹿ひろみ型の存続を狙うのであればAKB的な方法を流用するのもいたしかたないという、そういうオルタナティブな目線が海女のほうにあるような気がします」

F「あまカフェが出来たのは観光海女がヒットしたんじゃなくて、昔ながらの海女というものにこだわらず、現役女子高生海女がいるっていうことで最初ネットで火がついてそれが潮騒のメモリーズとかお座敷列車とかになり、町ぐるみでアイドルをつくり上げることによって結果的に北三陸鉄道が黒字化するという成果をあげて、「海女カフェ」はその成果として描かれてる。」

D「と、思います。アイドルについて書こうとしてアイドルだけを書こうとはしていないし、海女のことを書こうとして執拗に観光協会のこととかその周辺のことも執拗に書いてそれにまつわる経済効果のこととか一杯してたので、そっちのことも大事にしようと思っている。

目線としては例えば、AKBがいなくなったあとの秋葉原はどういうことになるの、という目線もきっとあるんじゃないかなと。いつまでもあるわけじゃないでしょ、という目線もそこには含まれてるような気がします。
っていう意味での、類似した構造をここまでの故郷編とこれからの東京編でからめたりするのかなーーーって」

F「しっかりした物語になりそうですね」

D「しっかりした物語作家やと僕はおもってるんですけど(笑)なんか自分でわざわざそれを崩して書こうとしてるので。今回類似構造がめちゃくちゃ一杯あるなあって。家出の話、母が家出した話とアキが家出しようとしたこととか。もしかすると夏ばっばとアキにも類似構造が出てくるのかもしれないし。似た構造を物語の中に一杯埋め込んでる感じがするので、それをどう紐解いてくっつけたり外したりしていくか、割と後半の大事なところかなと。

歌舞伎とかにけっこう多いですね、類似構造、フラクタル構造とか。四谷怪談とか今読んでるのでわかるんですけど。似た構造の話をなっがい話のそこここにちりばめて、という」

F「物語のフラクタル構造って、物語全体をみるとこういう形である、でも一部を切り取って取り出してみると、それも物語全体と同じ形をしてる、そういう理解でいいんでしょうか。」

D「そういう感じで考えてもらっていいと思います。ただ、全体構造がどういう感じになるのかわからないんですけど」

F「そうなんですよね。こっちとこっち、対称的なことはみえてくるけど、全体はまだですね。
歌舞伎かー、歌舞伎ってお決まりはあるんですか」

D「これは全然確証があっていうんではないんですけど、お決まりにされてしまったこと、時間を経ることで、もうこういうもんだよね、という、いわゆる僕らが知ってる型とかそのレベルで、当時はそんなつもりもなかったけどとか」

F「朝ドラってフォーマットそのものがそれなんですけどね。常に時計表示してるのも皆が時計代わりに見れるからということだし、朝の支度をしながらBGVとして機能することを求められて今の形になってるけど、いまのあまちゃんは目が離せない(笑)

D「ほんとうに、ながら見できない作家なんです、だから視聴率取れないんです(笑)」

F「でも、過去のものも含めて僕がいい朝ドラ作品だと思うものは、8時に、昔は8時15分だったけど、なったらスタンバイして、終わったら出かけるというサイクルに組み込まれてるのがよかった。あんまり、ながら見できる朝ドラが必ずしもいいとは、僕は思ってないんですけど。しっかり向き合って見られるという意味では、僕は宮藤官九郎の朝ドラはすごくいいと思ってます。」

D「そこが宮藤官九郎好きな人間としては不安点で・・・大丈夫?ながら見できないよ?って」

F「そう思ってる人もいると思いますが、僕は朝ドラを割としっかりと見るので。逆にしっかり見られるだけのものがないと見るのを止めてしまうんです。僕が見るのを止めてしまった作品を思い出すと、フラクタル構造も対称構造もなにもない、一本線、ずーっといってちょっとだけ枝葉、なんかこうメインの線を揺さぶって笑いをとるけど、全然見てて面白くない。僕の見方って中途半端だとは思います。ライトでもヘビーでもない。だから作家の事が気になるんです。」


後半にむけて



F「後半戦に向けてここに注目、というところは?」

D「僕はもう、語り手が変わったこと。本当に重くとらえてるんで」

F「ふーむ」

D「ひょっとしたら、序盤の夏ばっばは夏ばっばじゃなかったんじゃないかと思ってるくらいで。」

F「?」

D「前半の語りの夏ばっばは、実はまだ到来していない老年のアキだったんじゃないか、という仮説を立ててるんですよね。夏ばっばの語り、ずっと標準語だったでしょう。なんで標準語なんやろうと思ったんですけど」

F「けっこう自分視点で語ってますね。アキの視点で」

D「なにしやがんだ、このクソババアとか、逆に夏ばっばの視点で語ってたことあったかなと」

F「それは、最終的にどう明かされるんでしょう」

D「でも、仮定なんで、そんな意図全然ないのかもしれないけど、これは語り手が変わったんじゃなくて語り手の時間が戻っただけなんじゃないかと」

F「僕が気になってるのは、「冬」が埋まってなくて、空いてることです」

D「そうですね、僕は娘かなと思ってます」

F「冬子が。 そして、順番も入れ替えてますよね、春ばっば、夏母さんじゃなくて」

D「どっかで絶対やってくるだろうとは思うんですけどね」

F「仮に冬がアキちゃんの子供だとすると、やっぱり子供って命の再生の象徴ですよね」

D「震災の話もありますからね。僕が心配してるのは扱いきれるのか?っていうことですね。」

F「でも震災の話が重要なんじゃなくて、世代が続いていくっていうことと、さっき行ってたようなアイドルっていうものも時代と共に移り変わっていく、海女っていうものも時代とともに移り変わっていく、そういう流れを意識してというか、時代の変遷みたいなものも一番のテーマとして、それは朝ドラのフォーマットといえばフォーマットなんですよ、世代交代とか結婚とか人生イベントは」

D「今回は子供の誕生までいくのかどうか」

F「まだ高校生やしね」

(まだつづく・・・)

2013-06-27

喫茶店であまちゃんを語る二人(Part 1)

これは、とある時、とある場所で行われたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」について語り合った記録から抜粋したメモ書きです。


〜 8:00 あまちゃん 放送開始 〜

ドラマトゥルク(以下、D)「語り手が変わりましたね」

私(以下、F)「変わりましたね。珍しいですね」


D「珍しいケースなんですか」

F「そうですね。語り手が変わるってことには何か気になることがあるんですか?」

〜あまちゃん オープニングはじまる〜

D「語り手が変わったことは何を意味してるんやろうと・・・」

F「それはまだわからないけど・・・あ、片桐はいりが帰ってきましたね」

D「もうですか」

F「早かったですね」

D「東京編の登場人物として描いてた可能性がありますよね」

〜 本編開始 〜

D「出て来ましたね」

F「これ誰ですか?」

D「松尾スズキですね。」

F「でも、ここまで大きく変えてくるとは思わなかったです。最近だと・・・カーネーションの主役が交代したとかぐらいしか思い当たらないです。」

D「夏木マリに交代したんですね」

F「おばあちゃんになってからを夏木マリが演じてました。その時は尾野真千子のところだけで終わっていてもいいような作りにはなっていたんですけど。最後の方は夏木マリの迫力で押し切ったような感じでしたけど、最後は主人公自身が劇中で自分が朝ドラの主役になるという」

D「え、そんな終わり方するんですか」

F「主人公が亡くなったあとに、エピローグで娘たちが「お母ちゃんが朝ドラになるらしいで」って話してて、その第一回放送をおそらく主人公の幼馴染みだと思われる人物がテレビで見ていて、オープニングテーマが流れる・・・という流れで終わりました。」



朝ドラの舞台


F「3カ月間地方を入念に描いた分、もうこれだけやったらずっと岩手だけでやってても良かったのではと感じたところに、東京にガっと移って、やっぱり落差が大きいですね。脚本の落差っていうよりも3ヶ月間っていう地方編の長さから」

D「そこからの揺さぶりが強すぎるんですね」

F「強すぎるんです。一ヶ月ですぐこの展開だったらすぐついて行ける。でもこれだけの期間入念にやられると、サウナから水風呂に入れられたみたい」

D「(笑) まるでタッチを変えてきてる、一気に仕切りなおして進めようとしてる」

F「でも、始まる前におっしゃってたけど、むしろ東京編になって筆はのってきてると」

D「あ、そうです、筆はのってます。それはまあ、宮藤官九郎は今までもずっとそうなんですけど、今回って浅草じゃないですか、アメ横とか、ああいう下町の風景とかっていうのを、もう大好きで宮藤官九郎は何度も取り扱うんですけど、ああいう町のモチーフとか、郊外とか下町を執拗に描く傾向があるんですよ。
「タイガーアンドドラゴン」っていう落語のドラマがあったんですけど、たまに外に出ますけど基本的にはだいたい芝居小屋、演芸場のある浅草から出ないとか。原宿もあつかってましたけど」

F「サブカルチャー的な場所を扱うことが多い?」

D「そうですね。都心だったらそういうところが多い」

F「アメ横とか浅草ってそういう感じの場所なんですね」

D「今、あまちゃんで取り扱ってるのはアメ横とか、ああいう町っていうのは宮藤官九郎の系譜からすると極めてストレートな感じです。」


F「今はそういうよく使う手法を朝ドラにあわせているというよりは、クドカンワールドを展開してるんですか」

D「でも筆が乗ってるとはいえ、書き方としてはいつもよりは随分親切に書いてるなと」


序盤はすごかった



D「確かに序盤はすごかったです。こんなん書ける作家になったんやと思って僕も愕然としたぐらいです。前から見てるものとしては、大丈夫なんかな、朝ドラなんか書けるの?って思ってたんです、悪いところもよく知っている部分があるので」

F「でも、テレビドラマの経験が無いってわけじゃないですよね」

D「ダメなときは本当にダメになるんで、連ドラでも」

F「世間的な評価も、酷評されてるんですか?」

D「まあ、ある程度売れてるんで酷評とかはされないけど、まったく話題にならない、作品自体がおおむね黙殺されちゃったり、そういうケースがありますね。脚本だけやったときでもそうですし、「カムイ外伝」をやったとき、あれ監督は崔洋一で脚本は宮藤官九郎、もう、ほんっとうに出来が悪くて、演出も相当アカンかったんですけど、原作をダイジェストにしてみました、ぐらいほんとうにひどくて、宮藤官九郎のヒストリーからも抹消されましたから」

F「なかったことにしてるんですか。ムラがあるんですか」

D「いつも舞台で2時間半とかでまとめるのは得意なはずなのに映画になると失敗しますけど」

F「あまちゃんのなかでも、なんか劇っぽいことやってるときありますよね」

D「あります、あります。」

F「そのへん、ドラマと演劇とは書き分けてる感じなんですか」

D「ドラマのほうはとにかく場面の転換がはやいですね。」

F「ああ、演劇だと一回場面がかわったらずっとしばらくその場面ですね」

D「短いシーンをどんどん積み重ねていくような作り方をするので、舞台だと長い一個の中で成立させようとするかワンシチュエーションで時系列をポンポン飛ばして行ったりとか複数の場面を同時並行して進めるかとかそういう方法を宮藤官九郎はわりと取るんですけど」

F「複数の場面が同時進行ってどういうことですか?」

D「例えば舞台脇にエレベーターがあるとするじゃないですか。そしてそのエレベーターから人が入ってきた瞬間に時代が20年戻るとか、っていうのを回想シーンでやってるかとおもったらその舞台の前面でしゃべってる二人は現在のことをしゃべってるとかっていうのをシームレスにぐるぐる展開したりっていうのが技法のレベルでは多くて、そう言う方法は今回のものに近いかもしれないですね」

F「シーンが切り替わると細かく時間が切り替わると」

D「時間の往還の速度っていうか、現代と80年台を軽やかに行ったり来たりするようなその速度感覚が、その手法に近いかなと」


朝ドラのフォーマット



D「朝ドラってすごい完成されたフォーマットなんやなって思いました」

F「そうですね」

D「宮藤官九郎が入ったぐらいでは、このフォーマットは揺らがないなって。むしろそのフォーマットに飲み込まれてる感じがあるなと思った」

F「そうですか、それはもっと細かく聞きたい」

D「NHKがそのフォーマットを細かく噛み砕いてこのフォーマットなら宮藤官九郎はハマるぞ、と自信があってオファーしたっていうのがやっぱり分かりましたね。なんでだっていうと、まず、宮藤官九郎の最大の弱点はCMを挟まれてしまうといきなり離脱するお客さんが多いっていうことなんですよ。民放でも1時間の放送のなかでどんどん視聴率が下がっていく傾向があるんです。だいたい15分とか20分単位でCM入れていくじゃないですか、そんな中で「一息で見れる時間配分」と、たとえば45分とかだと割とダダっと駆け足でかいちゃったりするんですけど、今回だと一週間で90分じゃないですか、その約90分っていう時間を、ちゃんとした配分で書いてるんやなあと思うので、これは宮藤官九郎にとって大丈夫かなとおもったけど、実はすごく適したフォーマットだったと、割と愕然としてる、ほんとにびっくりしてるんですけど」

F「宮藤官九郎にはこの手があったか、と」

D「こんな手があったかと、15分で区切らすっていう手があったかと、で、何が起きてるかというと、やっぱり今まで宮藤官九郎の作品みて全然はまらなかったっていう人たちが見てたりするんで。」

F「それはテレビドラマを」

D「そう、いままで全然おもしろくなかったけど、今回のは見られるって言ってたりする」

F「NHKの朝ドラというフォーマットが果たしてる役割が大きいと」

D「すごい大きいなと。一目瞭然やなとおもったのは、あまちゃんはある程度、この作品は視聴率を撮り続けてっていう状態がありますけど、もうじき終わりますけど本人が監督した映画が今やってるんですけど、全然アカンかったんですよ。この現象はなんかフォーマットの差っていうか宮藤官九郎に今一般の人たちが求めてるものの差が出てるなと思って」

(Part 2につづく)